本日の東京新聞朝刊に、アフガニスタンからの自衛隊機による邦人救出に失敗した件を契機に、紛争地でも自衛隊の行動範囲が広がるような法改正の動きが高まっているとの報道があった。
たしかに、アフガニスタンで途方に暮れている日本人を自衛隊が保護するというのは極めて正論に聞こえる。同胞を守るために危険な地域に赴くというのは映画のワンシーンのようであり、ヒロイックな気分に浸らせる。
しかし、ことアフガニスタン情勢は、20年にわたる米国の理不尽で抑圧的な政権運営が招いた末の混乱という側面がある。この記事では深掘りしていないが、今から5年ほど前の2015年に、「日米防衛協力のための指針」が締結され、海外では日本の自衛隊と米軍が「切れ目なく、一体となって」協力するように定められている。国会で与野党が対立し、国会前で学生団体が抗議活動を展開した様子がニュースでも流れたのを覚えているであろうか。
現政権は、西アジア地域でも「集団的自衛権」が行使されることを容認しているので、自衛隊が紛争地に行った際は、同盟国である米国の軍隊や米国人が襲われた際は、武器をもって保護する義務が生じる。これまでの米国の強引な国家運営に反発を感じているのは、タリバンだけでない。一般のアフガン人の中にもイスラム教を否定する米国の一方的な姿勢に反感を感じている人が少なくないとの報道もある。
紛争が激化している地域に中立という立場はない。敵か味方の別だけである。片方の味方は、王片方にとって敵である。現在のアフガニスタンで自衛隊が国際空港以外で行動を展開するということは、米軍の一派としてアフガニスタンで軍事行動をするのと同義である。火に油を注ぎにいくようなものである。
議論すべくは、自衛隊法の改正ではなく、自衛隊が自衛のための軍隊でなくなってしまった2015年の安全保障関連法の是非である。また、在アフガニスタン日本大使館の状況判断の甘さである。外務省のホームページとウィキペディアの情報だが、情勢が緊迫した先月8月に、在アフガニスタン日本大使館の全権大使は日本に帰国中で、慌ててアフガニスタンに戻った時には手の打ち用がなくなっている。そこで大使館員だけが英軍機に救われ、カタールへ逃げ出したという有様だ。そもそもアフガニスタン国内で日本人を保護の旗振り役となるべく日本大使館が機能していなかったのだ。その後に自衛隊機が飛んで行っても、意味がないのは明白であろう。
ちょっと気持ちが入ってしまった。大切なのは、高校時代に地理の授業を真面目に受け、世界の情勢を見る素養を養うことかな。