月別アーカイブ: 2018年8月

「週のはじめに考える 『単純化』という妖怪」

本日の東京新聞朝刊の社説が面白かった。
「単純化」というのは政治や外交だけでなく、社会の中のあらゆるところで蔓延っている。やれ賛成か反対か、敵か見方か、やるかのかやらないのか。問題を白黒分かりやすくする一方で、反対意見を封殺し、第三者の視点や意見を認めない。誰しもが反対できないような「子どものため」「安全のため」「健康のため」という錦の御旗を掲げ、話がとんでもない方向に進んでいく。単純化という妖怪には要注意である。

 一匹の妖怪が世界を徘徊(はいかい)している-「単純化」という妖怪が。恐れ多いのですが、まずはマルクスとエンゲルスの有名な一文をまねて本稿を始めます。

 ここで「妖怪」になぞらえたのは、大衆迎合主義と訳されることの多い、いわゆるポピュリズム。そして、そのこころは、「単純化」だと思うのです。
 例えば欧州。英国の欧州連合(EU)離脱決定をはじめ、イタリアやオーストリアなど多くの国で、ポピュリズム的、ないしは、それと通じる極右の勢力が主として移民排斥などを主張に掲げて大きく力を伸長しています。

◆ポピュリズムの権化

 そして、地球儀を少し回して大西洋の西を眺めれば、嫌でもポピュリズムの権化のような人物が目に入ります。トランプ米大統領。
 評価できる言動というものが思い浮かばないのですが、メディアに痛いところをつかれると「偽ニュース」と断じ、事実に基づかない主張と上品とは言い難い言葉で攻撃するのが常です。ついには、「国民の敵」扱いされ、全米約三百五十紙が社説で一斉に反論したのもむべなるかなです。
 政策も、とにかく「?」だらけ。わけても最近、世界を動揺させているのは「貿易戦争」でしょうか。日本など同盟国も対象にしたアルミ・鉄鋼の追加関税を手始めに、中国には大規模な制裁関税を仕掛け、その報復も相まって、世界経済の先行きに暗雲が漂い始めています。
 商売人ですから、もしや、最初に過大な要求をぶつけて後の取引を有利に運ぶ「ドア・イン・ザ・フェース」と呼ばれるセールス手法のつもりでしょうか。でも、何にせよリスクが大きすぎます。
 中国による知的財産権の侵害は目に余るものがあるし、その覇権主義的な姿勢も脅威になりつつある。そういう主張は主張として分かるのですが、だからって、ストレートに制裁関税とは、いささか子供じみていないでしょうか。
 ここまで相互依存が進んだ世界で、短兵急に保護主義的な方向に進むことによるマイナスが小さいわけがありません。
 ことほど左様、中国への対処法に限らず、世の中の難問とは、複雑微妙。こういう面もあればああいう面もある、こうすれば喜ぶ人もいるが困る人もいる、あちらたてればこちらがたたず。ゆえに難問なのであって、ある一面だけを取り出して、それをどうにかすれば問題が解決するかのように人々に思い込ませるのは、大いなる欺罔(ぎもう)というほかないでしょう。

◆「分かりやすさ」で誘惑

 輸入の多い国に高関税を課せば自国経済のプラスになるかのように、移民を遮断すれば雇用不安は解消するかのように、自国第一主義は最終的に自国のためになるかのように言う、という類いです。
 ポピュリズムの核心とは、こうした「単純化」でしょう。大衆迎合というより、政治の側が甘言で大衆を誘惑しているとみる方が適当かもしれません。
 比較的新興の政治勢力が体現するポピュリズムが、なぜ欧米で力を持ったのか。要因は、既存政治の無策や落ち度にあります。行き過ぎたグローバリズムや市場至上主義を反省も修正もできず、その結果、生じた格差など社会の問題を拡大するままにしたのですから。しかし、政治手法として見れば、単純化の恐るべき効用、すかっとする「分かりやすさ」も大きい気がします。
 中国戦国時代、斉(せい)の王の妃(きさき)が、誰にも解けなかった「連環の玉」を槌(つち)でたたき割った<解環>の故事や、誰にもほどけぬ結び目を、アレキサンダー大王が剣でばっさり切った<ゴルディウスの結び目>の故事を思い出します。
 無論、現実世界の「連環の玉」や結び目-難問は、そんなふうに、すかっと一刀両断できるものではない。知恵を絞り、試行錯誤を繰り返して、どうにか解きほぐしていくほかないのです。
 単純化といえば、もう一つ。米朝会談後、北朝鮮の姿勢変化を受け、トランプ氏が在韓米軍について語った発言も思い起こします。
 「巨額の金がかかるから、できるだけ早く軍を撤退させたい」

◆対立は損、平和は得

 核廃棄で合意、といってもゆるゆるの約束にすぎず、撤退論はわが国安全保障上の大問題…。それは、その通りかもしれません。
 しかし、脅威さえ消えれば軍も武器も要らぬ、とはもっともな理屈。脅威や対立があるから防衛という名の戦争準備が必要なのであって、大金もかかる。だから対立を次々解消していけば、軍も武器も世界から消えていくはず…。
 トランプ氏の意図とは別に、一種のシンプルな平和論と読めないでしょうか。そして、こういう「単純化」なら世界にどんどん広がってほしいと思うのですが。

『ソウ』

dTVで配信されている、ジェームズ・ワン監督『ソウ(SAW)』(2004 米)を観た。
数多くの続編が制作されているので気になっていた。低予算で作られており、密室劇仕立てとなっている。映像よりもセリフやプロットで勝負しようとする制作者サイドの思いは伝わってくる。

『日蓮』

川添昭二『日蓮:その思想・行動と蒙古襲来』(清水書院 1971)を少しだけ読む。
蒙古襲来の予言と他宗攻撃で知られる日蓮の生涯がまとめられている。ただし、蒙古襲来の予言の裏事情や他宗との違いにばかり紙幅を費やし、肝心の日蓮本人の魅了が伝わってこなかった。小説で読みたかった。

「海自、NATOとバルト海で演習」

本日の東京新聞夕刊に、北大西洋条約機構がバルト海を航海中の海上自衛隊の護衛艦と合同演習を実施したと発表したという記事が小さく載っていた。
記事によると、日本は域外のパートナー国としてNATOとの連携を強めており、今回の演習には二隻の護衛艦が参加し、海上で作戦を実行する際の連絡手段の確認などが行われたとのこと。今月、スペイン沖でも同様の合同演習を実施している。

つい見逃してしまうほどの記事であったが、いったい日本の海上自衛隊はどこまで自衛の範囲を広げているのか。集団的自衛権の行使が国会を通った以上、政府のお墨付きがついているのかと思うが、ロシアとヨーロッパ諸国の緊張が強まっているバルト海にわざわざ出かけ、合同演習を行うというのは馬鹿げた行為でしかない。憲法9条の精神を遵守し、専守防衛以上の軍事力に対してはシビリアンコントロールをしっかりとかけるべきである。

『田沼意次』

大石慎三郎監修・後藤一著『田沼意次 人と歴史・日本 21』(清水書院 1971)をさらっと読む。
田沼意次というと、賄賂や天明の大飢饉による政策の失敗など、負のイメージが強い。しかし、そのほとんどは根拠のない噂や捏造されたものであり、著者は寛政の改革を進めていく中で、スケープゴートとして喧伝された側面が強いと述べる。
田沼意次時代は政治的にも文化的にも自由な雰囲気が溢れていたのだが、松平定信の時代に入ると政治的には倹約、文化的には統制が打ち出される。そうしたストイックな政策をゴリ押しするために、一昔前のルーズな田沼政治が実際以上に否定的に捉えられたのではないか。田沼意次再評価の先鞭を付けた内容となっている。