昨日、駿台で配布されていた「教育フォーラム 31号」(駿河台学園 2017)を手に取ってみた。1918年(大正7年)に「東京高等受験講習会」と産声を上げて以来、神田の地で、大学合格に必要な知識や技術だけでなく、大学入学後に必要な教養にまで踏み込んだ授業を目指す駿台予備校の100周年記念特集である。論文科の山本義隆氏の寄稿もあり、思い出話から高大接続、応用的な授業内容もあり、多彩な内容となっている。
そういえば、私自身が駿台予備校生時代にも、今は無き1号館校舎で500円で頒布されていたのものを購入した記憶がある。詳細は覚えていないが、ホイジンガの「遊び」についての評論に触れ、知的好奇心を大いにくすぐられたものだ。
冒頭特集の座談会の中で、論文科講師の最首悟氏は次のように語る。
高卒生と現役生を教える場合の違いもありますね。高卒生は、階段を踏み外した感覚を抱えたまま教室にやってきます。職業欄に「無職」と書かなければならない緊張感があると思います。
無所属な個人として座っている一人ひとりの生徒に対峙しているというのが、予備校の講師が感じている緊張感の一部なのかもしれません。私自身の浪人時代を思い出しても、希薄な所属感しかもてないからこそ、個人として世界に触れているといった感覚がとても強かった。輪郭がもてくなくて凍えていた。(後略)
また、現代文科講師の霜栄氏は次のように語る。
予備校という場は生徒にとって通過点でありながら、特異点でもあるでしょう。もちろん今この座談会だって、すべての場は通過点で特異点に違いはありませんが、彼らや彼女らは今まで一年ごとに刻んできた「学年」という社会的な枠組みを失い、希薄な帰属意識しかもたず、そのため素の個人それぞれの感覚で世界と触れ合うこともできます。今まで考えてこなかった事を考えるという意味で特異点にいるでしょう。それはけっしてデータ化できない個人的な体験だと思います。自分自身が「分からない」存在として浮かび上がってくることも多いのではないでしょうか。(中略)「分からない」と思えるからこそ「分かりたい」という意欲が湧きます。分かりきった人生など詰まらないでしょう。科学が自然への畏怖を失って必ずしも「知の生産」ではなくなり、「分かりやすい」貧しい言葉だけが声高に叫ばれたり、ビッグデータやIoTによって環境が決定づけられたり、決められた枠組みと価値観の中で人工知能が効率化だけを推し進めていくかもしれない時代に、自分の「分からなさ」を見つめて「生きる」意欲を燃やすことは、とても大変なことのように思います。