羽賀登『本居宣長:人と歴史・日本 22』(清水書院 1972)を読む。
江戸中期の国学者本居宣長について、著作の言葉の端々を拾い集め、人となりを丁寧に説明している。本居宣長というと、古事記や源氏物語などの生粋の日本の文化を研究している文学者というイメージが強かった。しかし、実際は極めて「原理主義」的な人物で、中国伝来の仏教や儒教を徹底して排撃し、天照大神由来の日本神道の示す情の世界に帰るべきだとの主張を、生涯に亘って繰り返している。
『万葉考』や『国意考』を著した賀茂真淵に師事し、直接に著作についての指導を受けている。一方、時代は少しずれるが、柳澤吉保の儒臣となり、孔子や孟子などの古典研究に勤しんだ荻生徂徠への舌鋒は鋭い。天下の制度を漢風に変質させたと、大化の改新にも懐疑的な見解を示している。また、貨幣経済は「世上困窮の基」であるとし、農本主義的な理想主義者でもあったようだ。
また、ややこしいことに、徳川幕府を支える朱子学は批判するが、朝廷が正式に征夷大将軍の任を与えた徳川幕府には忠誠を誓うべきだとも述べる。
宗教でも政治でも学問でも、取り戻せない過去を理想化し、現実の諸相を頭ごなしに否定する「原理主義」的な態度には与したくないと思う。