速水健朗『1995年』(ちくま新書 2013)を読む。
先月、1995年を象徴するオウム真理教・地下鉄サリン事件の関係者13人の死刑が執行されたが、その事件の背景については必ずしも解明された訳ではない。そうしたモヤモヤとした思いから手に取ってみた。
阪神大震災や地下鉄サリン事件だけでなく、政治や経済、国際情勢、テクノロジー、消費・文化など様々な切り口で、歴史の転換点ともなった1995年を横に読もうという試みである。あまりに雑駁なので、「へ~~」と思ったところだけを抜書きしておきたい。
文化の面で見ると、『新世紀エヴァンゲリオン』がテレビ放映された年でもあり、『ドラゴンボール』の連載が終わった年でもある。スポーツでいえば、震災で被災した神戸を拠点とするオリックスが市民の熱い応援を背にパ・リーグ優勝を果たし、野茂英雄が海を渡ってメジャーリーグに行き、相撲では若貴兄弟(若乃花・貴乃花)が直接対決を果たした年だ。
建築家の隈研吾は、都市博の中止とは、それ以降の日本を覆う「建築嫌い」の始まりとなった重要なポイントであると指摘した。飽くなき開発に突き進んできた戦後の日本は、建築国家だった。住民の反対運動は、押し退けられるのは常だった。その開発一辺倒の時代に終止符を打ち、住民側が勝利を収めたのが都市博中止だった。隈が「負ける建築」という、新しい時代の建築を打ち出していくきっかけとして、この都市博中止は大きな意味を持っていたのだ。
ちなみに、お台場にフジテレビが引っ越してくるのは1997年のことだ。移転を記念して作られたドラマは、都市博中止により空き地だらけとなったこの場所を走り回る刑事の活躍を描くものだった。主人公の名字は青島。都市博を中止し、湾岸の埋め立ての発展を遅らせた原因をつくった都知事への当てつけからつけられたものだった。
1980年代末のいわゆるバブル期が、日本人の生活の中心に消費が置かれた時代のように考えられている。だが、本格的な消費時代は、団塊ジュニア世代が社会に出始めた95年以降と考えるべきだろう。ピールの出荷数ピークは94年だったが、出版や音楽産業などの売上高ピークは、96〜98年くらいに集中している。
(1980年代に流行したオカルトブームや神秘主義、ユダヤ陰謀説などのアイテムのコラージュに満ちた世界観の中で、徒労感を感じる若者が主人公のアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』について)評論家の宇野常寛は、煮え切らない主人公が登場するこのアニメの行き場のなさは、1995年という時代に由来するものだと説き、さらにオウムを接続してこう述べる。「寄る辺なき若者たちの「間違った父親」として機能したオウム真理教が信者たちをテロに牽引した」のと同じように「何かを選択すれば(社会的にコミットすれば)必ず誰かを傷つける」のが現代社会である。であれば、「何も選択しないで(社会にコミットしないで)引きこもるほかないというのがこの物語の倫理であると。
「社会的自己実現の信頼低下」、つまり「がんばっても、意味がない」という世界観、それが「90年代後半の「気分」を代弁するものとして多くの消費者たちから支持を受け、同作を90年代カルチャーにおいて決定的な影響を残す作品に仕上げた」のだという(宇野常寛『ゼロ年代の想像力』)。
確かに、1980年代に流行したオカルトのごった煮、またはコラージュから発生したという部分など『新世紀エヴァンゲリオン』と「オウム真理教」は同時多発性をもつ双子のような現象である。1995年の人々が、オウムが引きおこした事件になんらかの意味を懸命に見出そうとしていたのと、「エヴァ」に隠された謎ときに夢中になったのとは、似た行為だったのだ。
最後に著者は、1995年という時代を次のようにまとめる。
1960年代末、世界中の先進国は、社会変革の期待、つまり革命の気分で満ちあふれていた。共産主義への体制変更を訴える学生たちによるデモや暴動があちこちで起こり、旧来の価値観を否定し自然への回帰や平和主義を訴えるヒッピーが台頭した。こうした政治運動を反映した文化としてロックやフォークといった反体制的な音楽が流行していた。
1995年は、こうした1960年代の革命の2回戦、敗者復活戦という要素を含んでいた年だった。反体制文化が、当時、注目されたパーソナル・コンピュータの発展やインターネットの登場によって再び盛り上がり、60年代的な社会変革の気分が再燃したのだ。本編でも触れたが、インターネットを熱狂的に取り上げたのは、ビジネス誌以上にカルチャー誌だった。また、なによりもヘッドギアで脳波をコントロールする修行を義務づけ、ハルマゲドンを回避しようとしていたオウム真理教は、テクノロジーと社会変革を組み合わせた集団だった。
社会変革を反体制的な運動によって起こそうと考えたのが1960年代だとすると、テクノロジーで再度その機運を呼び起こそうとしたのが90年代であり、その中核の年が1995年である。
テクノロジーによって支えられてきた戦後の物質文明や合理主義のあり方を、消費社会にどっぷりと浸かった情報テクノロジーを通じて批判するという自己矛盾を抱えた時代が1995年だったという筆者の主張は、著者と同級生の自分にもよく理解できるところである。パソコンが学生でも気軽に買える値段になり、インターネットでの市民運動が広範囲に始まり、ネットを通じて「連帯・団結の輪」が広がっていくことを期待したこともあった。戦後50年という区切りの年でもあり、様々なところから総括と展望が聞かれた年でもあった。また、現在40代となった人たちの人生の起点になる年でもある。あの1995年という時代からどれくらい離れてしまったのか、個人の総括もいよいよ求められるのだろう。