月別アーカイブ: 2015年11月

春日部商工会議所

2015-11-23 16.39.45
所属:春日部商工会議所青年部
一度見たら忘れられないインパクトのあるキモかわ系♪市の花・藤をイメージしたしそふりかけをトッピングしたあんかけ焼きそば「春日部やきそば」から誕生。ひそかな野望は春日部の五つ星のシンボルになること。 (公式ホームページより)

今夕、子どものピアノの発表会で春日部商工会議所に出かけた。
オリジナル曲の発表会ということで、通常の発表会の華やいだ雰囲気はあまりなく、コンテストのような少し重い雰囲気の中での発表であった。
しかし、案の定、真ん中と下の子がすぐに飽き始めたので、娘の発表が終わるや否や退散した。
帰り際、春日部の銘菓として販売されていた栗どら焼きを食した。栗の甘さと餡子の甘さがマッチして美味しかった。

『チェーザレ』

cesare

惣領冬実『チェーザレ—破壊の創造者』(講談社 2006~2008)の第1巻から第5巻まで読む。
マキャベリの『君主論』の中で理想の君主とされているチェーザレ・ボルジア(1475-1507)の生涯を、史実を踏まえつつ大胆に描く。大昔の世界史の勉強の中で聞いたことがある名前ではあったが、ただ文化史の用語として暗記しただけだったためか、あまり印象に残っていない。チェーザレは司教なのだが、分裂しているイタリア諸国家を束ねる政治家・策略家でもある。現在でも連載が続いている作品であり、第5巻まではチェーザレの学生時代の話であり、その策略家としての片鱗が描かれる。
ピサ大学での学生生活の細かい様子や、現存されていない当時の建設様式や壁画なども、大学の研究者のアドバイスを基に丁寧に描かれており、歴史の参考書として読むこともできる。

『ニュースの職人』

鳥越俊太郎『ニュースの職人―「真実」をどう伝えるか』(PHP新書 2001)を読む。
新聞、週刊誌、テレビと渡り歩いた著者が、どのような媒体であっても事件の裏に潜む「真実」を求め、ヤラセや脚色を避けて「誠実」に伝えるジャーナリストしての使命を語る。
「イエスの方舟事件」や「松本サリン事件」など、一斉報道により冤罪や報道被害を生みがちな雪崩現象を、ジャーナリズムの世界では「スタンピード現象」と呼ぶそうだ。鳥越氏は、赤狩りとして有名な「マッカーシズム」も過熱したマスコミが作り出した報道被害であると述べる。一方、扇動の中心者であったマッカーシー議員のインチキぶりを暴き、マッカーシズムを収束させたのも報道の側の人間であった。そのCBSのアンカーのエドワード・マローの言葉を孫引きしてみたい。

 マッカーシーはまさにマスコミが作り出したものだ。彼の言葉を全国にばらまいたのはマスコミだ。デマと知りつつ、彼が言ったことはニュースだとの立場から報道を続けた。反対の立場を明確にしなかったテレビ、ラジオ、新聞、雑誌はみなマッカーシーに手を貸した。アメリカ国民に対してだけでなく、自己の誇りを汚したことに対しても彼らは責任を負うべきだ

鳥越氏はこのエドワード・マローの言葉を「報道に関わる者への警告」だとし、ジャーナリズムは社会正義の実現に努めるべきだとまとめる。

今日の新聞を見ていても、共謀罪や、南シナ海への自衛隊派遣、テレビ局に対する自民党の圧力など、きな臭いニュースが目白押しである。テレビや新聞を通じてニュースに接する私たちの目の確かさも問われている。

『老後がこわい』

香山リカ『老後がこわい』(講談社現代新書 2006)を読む。
精神科医を営みながら、新聞、雑誌などの各メディアで社会批評、文化批評、書評など幅広く活躍している著者が、タイトル通り老後の不安の本音を暴露している。老後は男女や家族の有無問わず不安なものであるが、本書では仕事をしているシングル女性の視点に絞って、住宅や年金、介護、孤独死などについて語っている。著者の香山さんの普段の強気な文章とは違い、親の死に目やペットロスに耐えられない自信の心の弱さが綴られ、興味深かった。他にも介護施設や精神的喪失の分析など、専門的な見地から語られる話もあった。しかし、家族持ちの中年男性の自分とは異なる視点であったので、たいした感想も持たずにさらっと読み終えてしまった。

「核燃料サイクルに12兆円」

20151117東京新聞より

本日の東京新聞朝刊一面は、廃炉が取りざたされている高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)を中核に進められてきた核燃料サイクル事業にかかったコストが、少なくとも12兆円にのぼり、今後も毎年1600億円ずつ増えていくことが判明したとの記事であった。
先日大騒ぎした国立競技場の建設費が千数百億円から三千数百億円と言われている中で、この12兆円の馬鹿らしさは一体なんなんだ。しかも青森県六ケ所村の再処理工場すら完成の見込みも立っておらず、全く実績ゼロなのに、今後も毎年国立競技場なみの建設費が消えていくという。国立競技場のデザイン決定に至る瑕疵は報道の中でかなり明らかになったが、この「もんじゅ」も見通しの甘さと、惰性に任せ見直しを避けてきた体制に是非ともメスを入れてもらいたいものだ。東京新聞の良心に期待したい。