大田昌秀『沖縄 平和の礎』(岩波新書 1996)を読む。
恥ずかしながら、随分長い間本棚に眠っていた本である。琉球大学の退官から沖縄県知事時代の講演会の記録である。繰り返し、沖縄戦争における実体験や、琉球の戦前戦後の歴史が語られ、そして、基地問題の実態や代理署名における苦悩、2015年を目処にした基地の整理・縮小を目指す計画などが語られる。
戦後沖縄の問題について考えるたびに、私は日本本土の問題と対比的に考えずにはおれません。というのは他でもなく、ある意味では、沖縄の幸、不幸というのは沖縄の人々によってもたらされたというより、多くの場合、日本本土の政治や経済ひいては教育、文化のありようによって生じたといって良いからです。それだけに、本土在住の一般国民が沖縄問題をどう認識し、どのように関わるかによってもらに左右されてしまうのです。勢い、沖縄問題に取り組むと半ば否応も無しに、いったい「日本にとって沖縄とは何か」とか、ぎゃくに「沖縄にとって日本とは何か」と反問せざるをえなくなります。
さらに、大田氏は次のように述べる。
これまで私は沖縄を訪れる政府首脳や政党のリーダーたちに、繰り返しその主旨のことを申しあげてきました。それは誇張ではなく、沖縄問題への対応のありようは、文字通り日本の民主主義の成熟の度合いを推し量る一つのメルクマールになると思うからです。こうした点を、全国民的な問題として大いに議論してほしいものです。
さらに、大田氏は、平和への取り組みについて、平和学者のヨハン・ガルトゥング教授の問題提起を紹介している。かなり長いが、内容も文章も分かりやすいので引用してみたい。
ガルトゥング教授は平和を実現するため、3つのPが必要だと述べています。第一にPeace Movement(平和運動)、第二にPeace research(平和研究)、第三にPolitical party(政党)の3つであります。これらが三位一体となって平和の創造に取り組むのでなければ、人々が期待するような平和は成り立たないと説いているのです。
彼は、またこれら三つの中でとりわけ中心となる平和運動の今日的な特徴は、二つに分けることができるとも述べています。
第一の平和運動はissue movement、つまり、今日人々が直面している時々刻々における問題を対象とし、それに取り組む平和運動のことです。たてエバ、最近、県民は種々の理由から米軍地位協定の見直しについて協力し合って真剣に取り組んでいます。このような運動こそがissue movementというわけです。
もう一つは、個別的な時事問題を対象にして起こる運動ではなく、もっと根源的な平和運動です。つまり、戦争を廃絶しようという、最も重要な基本的問題を対象に取り組まれる運動のことであります。戦争を廃絶すると言えば、そんなことは、この人間世界ではありえないことだとつい考えてしまいます。そのため、実際にはユートピア的とか、気違い沙汰だと馬鹿にされがちです。しかし人類の歴史を振りかえってみると、奴隷制度の廃止とか、植民地の廃棄などということは、ある時代においてはそれこそユートピア的思想であったにもかかわらず、今日ではすでに実現しているのも少なくないのです。最近のアフリカの状態などを見ても、人間が人間を奴隷的に支配することは、もはや許されない状態になっています。植民地支配の廃絶にしても全く同じで、この問題もかつては戦争を廃絶する課題と同様に、「植民地が廃絶されるものか」というのが一般的な考え方でした。しかし、今ではそれらの課題は見事に克服されています。
ガルトゥング教授によると、一つの国や社会で軍事化が進むと、それはまるで癌細胞のように国の経済や文化、政治に至るま全ての分野をむしばんでいく危険があります。その上、軍事化が進むと経済成長が圧迫され、文化も全体的に軍事化され、さらには他国の文化や異民族に対して憎悪を植え付け、仮想敵国としてのイメージを培っていく傾向にならざるをえないというわけです。あまつさえ、国際政治においては、国家機密を保護するという名目で政府に反対する声は押しつぶされ、個人個人の権利も国益と国の安全の名において押しつぶされてしまいます。
何十年も前の文章なのだが、後半はここ数年の日本の政治状況を予見したかのような内容となっている。大田氏は知事時代に2015年を目処に計画的かつ段階的に米軍基地の返還を求める「基地返還アクションプラン」を作成し、21世紀の沖縄を方向づける「国際平和都市形成構想」を策定しているが、その最終年である今年になっても、普天間基地の返還は進まず、辺野古の基地整備だけが進んでいる。
本日の東京新聞朝刊に、安全保障関連法に反対する学生グループ「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動、シールズ)」が昨日、東京・新宿、名古屋、辺野古の3カ所でデモを行ったとの記事が掲載されていた。学生の一人は「自分が沖縄基地の負担を強いる立場だったことに、悲しいほど無自覚だった。もう見て見ぬふりはできない」と決意を述べている。こうした若い世代を見習い、大田氏の思いを受け止める真の民主主義をそれぞれの立場の中で作っていかねばならない。