Podcastで配信されえている文化系トークラジオLife「里山ウェブの時代」(TBSラジオ 2014年06月22日放送)を聞いた。
ウェブという「オープン」な建前のプラットフォームと、里山という親密なコミュニケーションが成り立つ「閉じられた」世界の関係について様々論じられた。ウェブ時代における里山そのものの内実や、プラットフォームビジネス、マネタイズなど話は多岐にわたり、最後はラジオの里山である「Life」そのもの可能性にまで話が広がっていった。
その中で、里山がマニア化していくことの弊害の中で、コメンテーターの誰かが言っていた新日本プロレスの社長の「すべてのジャンルはマニアが潰す」というコメントが印象に残った。
「NEWSポストセブン」の記事によると、木谷高明社長は、プロレスの衰退について、コアなユーザーがライトなユーザーを拒絶していたことが原因だと指摘する。そのため、木谷社長はTVCMや雑誌で広告を出しまくり、大きな大会前には電車の車体広告と駅の看板広告なども大きく打ってでたそうだ。そうした営業努力によって、これまでのコアな層とは異なる女性や若者の客がどんどん増えて、売り上げも大きく伸びたということだ。
「すべてのジャンルはマニアが潰す」という言葉は、いい情報も都合が悪い情報もあっという間に拡散するウェブ時代において、どこかに念頭に置いておきたい。
月別アーカイブ: 2014年7月
『夢をかなえる勉強法』
伊藤真『夢をかなえる勉強法』(サンマーク出版 2006)を読む。
ちょうど1週間後に大学の1回目の試験が控えているので、手に取ってみた。
「真の法律家・行政官を育成する」との宣伝文句を掲げている「伊藤塾」の塾長伊藤真氏が、司法試験に限らず、勉強の意味や勉強方法のコツを語る。
合格後の具体的なイメージを持ち、「ゴールからさかのぼって今を考えたり、まず全体像を把握したりなどの大まかな勉強法から、息抜きの時間やマーカーの塗り方、スランプの克服法など細かい勉強法まで分かりやすく書かれている。
その中でも、著者がディスコでアメリカ人から「憲法でいちばん大切なことを教えてくれ」と質問され、答えに詰まってしまったエピソードが印象的であった。著者は質問に対して当然のように「基本的人権と国民主権と平和主義だ」と答えたところ、何度か押し問答があった挙げ句、「お前は日本の憲法でいちばん大切なことを一言で言えないのか」とあきれられたという。そこで、家に帰って本をひっくり返して調べた所、憲法三原則の前に「個人の尊重」ということが書かれており、不勉強を恥じたという内容である。著者はそのとき、憲法をきちんと勉強しなければならないと痛感したと同時に、「一言で言えないのか」という言葉が胸に突き刺さったという。著者は、続けて次のように述べる。
本質を一言で言えないのは、わかっていない証拠である。わかっていないから、くどくどと説明してしまう。物事の本質はとてもシンプルなのだ。
以来、私は頭の中でいつも「一言で言うと?」「要するに」ということを意識するようになった。これは本質をつかむ上で非常に重要なことだった。
本を読むときとも段落ごとに「要するに何なんだ」と自分でまとめながら読んでみる。答案を書くときも「要するにここで何が言いたいのだ」と一言で言えるようにする。
毎回、「要するに」と自分に問うことで、勉強力は確実についていく。
これから残り14本のレポートと10個の試験をクリアーしていくための勉強の参考にしたい。
夕涼み会
『成功するフルカラープレゼンテーションの作成テクニック』
矢島隆&コドス『成功するフルカラープレゼンテーションの作成テクニック』(エクスメディア 2005)を読む。
見やすい文書のレイアウトやチャート図のカラーリングのコツなど、ワードやパワーポイントの機能の活用のノウハウがまとめられている。見やすいフォントは「MS P明朝」や「MS Pゴシック」が基本、ビジネス文書のチャートは寒色系を基本とする、目的にあったグラフの選択、余白や行間を意識して、印象に残りやすい文書や図のレイアウト方法、ワードの「スタイル」機能や罫線を用いて見出しと本文を読みやすくするなど、アプリケーションの解説書にも触れていないようなアドバイスがたくさんあった。いつか参考にしたい。
『新日本の路地裏』
佐藤秀明写真集『新日本の路地裏』(ピエ・ブックス 2008)を眺める。
先日読んだ観光地だらけの『世界の路地裏』と違い、古ぼけた長屋やスナック、行商のおばちゃんが写っているひと昔、ふた昔前の何気ない日常風景である。20数年前であれば誰一人買わない写真集である。
今、日本から路地裏が消えようとしている。古い家がどんどん取り壊され、特徴のない、積み木でこしらえたような町がやたらと多くなってしまったのだ。(中略)今に日本では、十年もたてば変わってあたりまえなのかもしれないが、なにか寂しい。生きることに懸命だった貧しかったころの、温かな生活感が路地と共に消えてゆくのである。
著者が述べるように、込み入った路地裏を探すというのは、周囲や社会の冷たい流れに流されまいとする自分を発見することに繋がっていくのだ。