日本体育大学の大学案内(2014年度版)を読む。
1891年に日高藤吉郎が東京市牛込区に創立した「体育会」が母体となっている。1900年に日本体育会体操学校と改称され、文部大臣の監督を受ける各種学校となり、1941年日本体育専門学校が現在地の世田谷区深沢に開校している。1951年に体育学部体育学科が開設され、その後健康学科や武道学科、1975年には社会体育学科がそれぞれ開設されている。1971年には横浜郊外に大規模な施設やフィールドを備えた健志台キャンパスが開設され、体操以外の種目においてもトップアスリートを養成している。競技スポーツか体育教員養成だけの大学かと思っていたが、健康学科に社会福祉士養成のソーシャルサポート領域があったり、武道学科に伝統芸能領域があったりする。全学部全学科で保健体育の教員免許の取得が可能である。ちなみに日体独自の応援スタイル「エッサッサ」は1926年に完成している。
学科構成は大きく変わらないのだが、2012年に世田谷キャンパスの大規模な再開発があり、2013年に児童スポーツ教育コースと幼児教育保育コースが置かれた児童スポーツ教育学部が開設され、2014年には横浜健志台キャンパスに、整復アスレティック学科と救急医療学科で構成される保健医療学部の開設が予定されている。柔道専門学校を併設しているため、少子化の中ではあるが正当な拡充であると言えよう。
世田谷キャンパスと健志台キャンパス間はシャトルバスが運行され、1日6往復1時間5分かけて走っている。
近年のオリンピックにおいても、体操の内村航平、水泳の北島康介、女子サッカーの川澄奈穂美、レスリングの湯元健一、アーチェリーの山本博など次から次へと名前があがる。また、今年の元日に行われた第89回箱根駅伝では30年ぶりに総合優勝を果たしており、その特集記事も大学パンフレットに掲載されてりう。また、別に陸上部男子202名女子108名、サッカー部男子230名女子74名、硬式野球部男子236名女子2名、バスケットボール部男子111名女子70名、柔道部男子135名女子19名、剣道部男子106名女子46名、ライフセービング部男子60名女子40名、ラクロス部男子64名女子51名といった大人数クラブからエアロビクス、インラインホッケー、ダブルダッチサークル、スカッシュなどのマイナー競技まで、全76団体で構成されている。さらに両キャンパスに男女1つずつ4つの学生寮に加え、各運動部専用の寮が29所も設けられている。食事については栄養士のサポートがあり、世田谷の男子第一学生寮がエッサッサの太鼓が起床の合図となっているなど、24時間スポーツをやる環境としてはこの上ない。
入試は期待している選手を取りたいためか、少々複雑な制度となっている。トップアスリートAO入試や推薦入試などで、2013年度は全体定員1000名あまりのところ、830名が入学している。一般入試の合格者はそのあおりを食ってしまっているのか、平均5.07倍の倍率となり、454名が入学している。なぜか武道学科が一番人気がない。
就職状況はよく、就職希望者の決定率は92.5%となっている。一学年1000名あまりの定員に対して、2012年度実施の公立学校教員採用試験に339名の合格者を出している。全国の中学高校の体育を牛耳る勢力は今後とも伸張を続けそうだ。