日別アーカイブ: 2013年9月11日

パンフレット研究:明治薬科大学

明治薬科大学のパンフレット(2014年度版)を読む。
大学の沿革が歴史の教科書のような書き出しで綴られている。パンフレットによると、1900年に欧米諸国と同様に医・薬を分業し、国民の健康向上を目指そうと、帝国議会に「医薬分業法案」が提出されたが、日本は医師の数に比べ薬剤師の数が極端に少なく、現況では分業を実施しても成り立たないという反対演説によりあえなく否決されたそうだ。そこで「薬剤師を養成する教育機関をつくろう」と立ち上がったのが、明治薬科大学の創学者・恩田重信だったのである。法案否決から2年後の1902年に神田三崎町に「東京薬学専門学校」を開校している。1906年に「明治薬学校」と改称、1907年に売りにだされていた小学校の校舎を買い取り、紀尾井町に初の独立校舎で講義が始まっている。その後も何度は移転を繰り返し、戦後は、駒沢の世田谷校舎と現西東京市の田無校舎に分かれていたが、1998年に清瀬キャンパスに全面移転をしている。学部も幾度か変遷を繰り返し、現在では6年制の薬学科と4年制の生命創薬学科の2学科で構成される薬学部だけの単科大学である。

パンフレット自体が薄手のもので、内容の詳細が分からないが、先日の昭和薬科大学と比べてあまりすっきりしない内容であった。昭和薬科の方は6年制の薬学科一本に統一したため、狙いもカリキュラムもシンプルなものとなった。そして教育内容がシンプルな分だけ、卒業後の進路は幅広いものになっていた。
しかし、明治薬科の方は、6年制移行後も4年制の学科を残したために、少々歪な棲み分けがなされている。薬学科は薬剤師養成を目的としているので、卒業後の進路は病院や薬局に絞り、逆に、生命創薬学科は薬学科の領域を侵さないように大学院との連携による研究者・技術者の養成というレールを敷いている。1・2年時は両学科ともほぼ同じ科目を受講するそして、3年次より薬学科は薬物治療学や医療コミュニケーション学が入ってきて、4年時の共用試験、5年次より大学病院などでの充実した施設での実習が置かれている。国家試験の合格率も高く評判が伺われる。

一方、生命創薬の方は3年次より分子生物学や分子構造解析などの授業が入ってくるが、最先端の生理学や分子生物学を学ぶに足る研究設備は少ない。また3年次より分子レベルの研究に入っていくため、創薬というレベルに辿り着くために数年の遠回りを強いられる。果たして明治薬科大学レベルで生命創薬という学科が必要なのだろうか。入試データを見ても6年制の薬学科に比べ、4年制の生命創薬の方は競争率、合格点ともにかなり低い。入学定員も薬学科300名に対して、生命創薬は60名である。6年制学科のカリキュラムも設備も共用している現状は、全日制高校の教室やグランドを共用する定時制高校に似ている。生命創薬のカリキュラムに2017年度入学生までは新4年制課程でも2年間大学院に通い、さらに2年実務実習などを行えば薬剤師受験資格を得られるという説明書きがあるが、薬学科の二番煎じと受け取られても仕方ないであろう。

国立大学や一部の私立大学では、臨床医療の側面の強くなった6年制よりも、研究優先の4年制を優先させる傾向にある。また新設の薬学部では薬剤師の国家資格を得ることだけに専念している学校が多い。明治薬科大学のように伝統ある学校ほど、研究という側面を残そうと薬科学分野の残すのであろうが、

パンフレット研究:昭和薬科大学

昭和薬科大学のパンフレット(2014年度版)を読む。
昭和大学薬学部と間違えそうだが、全くの別法人の学校である。
1930年に東京目黒に設立された昭和女子薬学専門学校を母体とする。1950年に昭和薬科大学と名称を改め男女共学となる。その後、1990年に町田キャンパスに全面移転している。2006年の薬学6年制スタートを機に生物薬学科を廃止し、薬学科のみとしている。聖マリアンア大学との関係が深く、聖マリアンナの教育棟内に昭和薬科大学の実習施設が置かれている。これまでの大学運営が成功した部類であろう。薬学部薬学科一本に絞ったために、大学のカリキュラムがシンプルになり、その分だけ少人数の研究室が充実する結果となっている。また、バブル崩壊前だったので、都内のキャンパスの敷地はさぞ高く売れたであろう。町田キャンパスは小田急線、田園都市線、JR横浜線の3駅が利用できる便利な場所にある。こじんまりとしたキャンパスで6年間少人数教育を受けるという環境は素晴らしい。また、クラブやサークル活動も盛んで、雰囲気の良さが伝わってくる。

パンフレットには大きく、薬剤師国家試験合格率が2年連続、関東地区第1位と宣伝されている。留年率が少し高いのが気になるが、全国平均が83.60%の中、合格率95.26%というのは立派な数字である。入試段階では薬学部の中で中堅校に位置する同校が、卒業段階で大きく伸びている原因はどこにあるのだろうか。
他大学のパンフレットと読み比べた訳ではないが、昭和薬科大では、1年時に専門科目はほとんど行わず、英語、数学、物理、化学、生物の授業をみっちりと行っている。そして2年時以降、1年時の基礎に積み上げる形で専門科目を配置している。薬学科1学科しか設置されていないため、選択科目がほとんどなく、「全員足並みを揃えての国家試験に臨む教育支援」体制が構築されている。1〜3年次において、定期試験の結果の思わしくない学生を対象として、外部講師による夏期講習、冬期講習が実施されている。また4年次には共用試験対策として個人面談、確認試験、模擬試験、補講が行われ、6年次には1年間かけて外部講師による補講を合計200コマ(各90分)行い、秋には学内教員による48コマ(各90分)の特別補講まで設けられている。

また、薬学部卒業後の進路についても、卒業生の写真や言葉を交えて紹介されている。薬剤師の職場というと、薬局や大学病院、製薬会社しか思いつかないが、化粧品会社や、新薬の承認を目指す治験のモニター、自衛隊の衛生資材部薬剤課、下水道水質課など幅広いことが分かった。

この大学の面白いところは、1974年に付属高校を沖縄県浦添市に開学していることだ。Wikipediaによると、開学当時の第7代理事長・荻原光太郎氏は「太平洋戦争によって多大な犠牲を受けた沖縄県の復興・発展に、教育を通じた人材育成で貢献したい」という思いを述べているとのこと。