明治薬科大学のパンフレット(2014年度版)を読む。
大学の沿革が歴史の教科書のような書き出しで綴られている。パンフレットによると、1900年に欧米諸国と同様に医・薬を分業し、国民の健康向上を目指そうと、帝国議会に「医薬分業法案」が提出されたが、日本は医師の数に比べ薬剤師の数が極端に少なく、現況では分業を実施しても成り立たないという反対演説によりあえなく否決されたそうだ。そこで「薬剤師を養成する教育機関をつくろう」と立ち上がったのが、明治薬科大学の創学者・恩田重信だったのである。法案否決から2年後の1902年に神田三崎町に「東京薬学専門学校」を開校している。1906年に「明治薬学校」と改称、1907年に売りにだされていた小学校の校舎を買い取り、紀尾井町に初の独立校舎で講義が始まっている。その後も何度は移転を繰り返し、戦後は、駒沢の世田谷校舎と現西東京市の田無校舎に分かれていたが、1998年に清瀬キャンパスに全面移転をしている。学部も幾度か変遷を繰り返し、現在では6年制の薬学科と4年制の生命創薬学科の2学科で構成される薬学部だけの単科大学である。
パンフレット自体が薄手のもので、内容の詳細が分からないが、先日の昭和薬科大学と比べてあまりすっきりしない内容であった。昭和薬科の方は6年制の薬学科一本に統一したため、狙いもカリキュラムもシンプルなものとなった。そして教育内容がシンプルな分だけ、卒業後の進路は幅広いものになっていた。
しかし、明治薬科の方は、6年制移行後も4年制の学科を残したために、少々歪な棲み分けがなされている。薬学科は薬剤師養成を目的としているので、卒業後の進路は病院や薬局に絞り、逆に、生命創薬学科は薬学科の領域を侵さないように大学院との連携による研究者・技術者の養成というレールを敷いている。1・2年時は両学科ともほぼ同じ科目を受講するそして、3年次より薬学科は薬物治療学や医療コミュニケーション学が入ってきて、4年時の共用試験、5年次より大学病院などでの充実した施設での実習が置かれている。国家試験の合格率も高く評判が伺われる。
一方、生命創薬の方は3年次より分子生物学や分子構造解析などの授業が入ってくるが、最先端の生理学や分子生物学を学ぶに足る研究設備は少ない。また3年次より分子レベルの研究に入っていくため、創薬というレベルに辿り着くために数年の遠回りを強いられる。果たして明治薬科大学レベルで生命創薬という学科が必要なのだろうか。入試データを見ても6年制の薬学科に比べ、4年制の生命創薬の方は競争率、合格点ともにかなり低い。入学定員も薬学科300名に対して、生命創薬は60名である。6年制学科のカリキュラムも設備も共用している現状は、全日制高校の教室やグランドを共用する定時制高校に似ている。生命創薬のカリキュラムに2017年度入学生までは新4年制課程でも2年間大学院に通い、さらに2年実務実習などを行えば薬剤師受験資格を得られるという説明書きがあるが、薬学科の二番煎じと受け取られても仕方ないであろう。
国立大学や一部の私立大学では、臨床医療の側面の強くなった6年制よりも、研究優先の4年制を優先させる傾向にある。また新設の薬学部では薬剤師の国家資格を得ることだけに専念している学校が多い。明治薬科大学のように伝統ある学校ほど、研究という側面を残そうと薬科学分野の残すのであろうが、