ほぼ日刊イトイ新聞編著『ほぼ日手帳 公式ガイドブック2011:いっしょにいて、たのしい手帳と。』(マガジンハウス 2010)を読む。
先日購入した「ほぼ日手帳2014年度版」を使用する前に、参考例として手に取ってみた。文庫本サイズ、一日一ページ、24時間書き込める時間軸、手帳の専門紙トモエリバー、ポケットがいっぱいの2本のしおりのついたナイロンカバー、180度パタンと開く糸かがり製本などのほぼ日手帳の誕生の歴史や、20人あまり方々の活用事例が紹介されている。
情報は公私の別なく1冊の手帳にまとめたり、チケットの半券や写真、新聞の切り抜きを自由に張ることができたり、これまで私自身が他の手帳で実践してきたことがしっかりと網羅されている。どうやらこの「ほぼ日手帳」で手帳探しは終わりを告げそうだ。
月別アーカイブ: 2013年9月
大学案内研究:日本体育大学
日本体育大学の大学案内(2014年度版)を読む。
1891年に日高藤吉郎が東京市牛込区に創立した「体育会」が母体となっている。1900年に日本体育会体操学校と改称され、文部大臣の監督を受ける各種学校となり、1941年日本体育専門学校が現在地の世田谷区深沢に開校している。1951年に体育学部体育学科が開設され、その後健康学科や武道学科、1975年には社会体育学科がそれぞれ開設されている。1971年には横浜郊外に大規模な施設やフィールドを備えた健志台キャンパスが開設され、体操以外の種目においてもトップアスリートを養成している。競技スポーツか体育教員養成だけの大学かと思っていたが、健康学科に社会福祉士養成のソーシャルサポート領域があったり、武道学科に伝統芸能領域があったりする。全学部全学科で保健体育の教員免許の取得が可能である。ちなみに日体独自の応援スタイル「エッサッサ」は1926年に完成している。
学科構成は大きく変わらないのだが、2012年に世田谷キャンパスの大規模な再開発があり、2013年に児童スポーツ教育コースと幼児教育保育コースが置かれた児童スポーツ教育学部が開設され、2014年には横浜健志台キャンパスに、整復アスレティック学科と救急医療学科で構成される保健医療学部の開設が予定されている。柔道専門学校を併設しているため、少子化の中ではあるが正当な拡充であると言えよう。
世田谷キャンパスと健志台キャンパス間はシャトルバスが運行され、1日6往復1時間5分かけて走っている。
近年のオリンピックにおいても、体操の内村航平、水泳の北島康介、女子サッカーの川澄奈穂美、レスリングの湯元健一、アーチェリーの山本博など次から次へと名前があがる。また、今年の元日に行われた第89回箱根駅伝では30年ぶりに総合優勝を果たしており、その特集記事も大学パンフレットに掲載されてりう。また、別に陸上部男子202名女子108名、サッカー部男子230名女子74名、硬式野球部男子236名女子2名、バスケットボール部男子111名女子70名、柔道部男子135名女子19名、剣道部男子106名女子46名、ライフセービング部男子60名女子40名、ラクロス部男子64名女子51名といった大人数クラブからエアロビクス、インラインホッケー、ダブルダッチサークル、スカッシュなどのマイナー競技まで、全76団体で構成されている。さらに両キャンパスに男女1つずつ4つの学生寮に加え、各運動部専用の寮が29所も設けられている。食事については栄養士のサポートがあり、世田谷の男子第一学生寮がエッサッサの太鼓が起床の合図となっているなど、24時間スポーツをやる環境としてはこの上ない。
入試は期待している選手を取りたいためか、少々複雑な制度となっている。トップアスリートAO入試や推薦入試などで、2013年度は全体定員1000名あまりのところ、830名が入学している。一般入試の合格者はそのあおりを食ってしまっているのか、平均5.07倍の倍率となり、454名が入学している。なぜか武道学科が一番人気がない。
就職状況はよく、就職希望者の決定率は92.5%となっている。一学年1000名あまりの定員に対して、2012年度実施の公立学校教員採用試験に339名の合格者を出している。全国の中学高校の体育を牛耳る勢力は今後とも伸張を続けそうだ。
『風立ちぬ』
子どもをお風呂に入れてから、慌ててイオンシネマへ出掛け、宮崎駿監督『風立ちぬ』(2013 東宝)を観た。
関東大震災から大恐慌を経てきな臭い世相になっていく当時の日本の雰囲気は、機関車や乗り合いバスの描写を含め良く伝わってきた。
しかし、航空技術者の堀越二郎氏生き様と堀辰雄氏の作品『菜穂子』『風立ちぬ』の作品世界を合わせて描くという狙いであったが、いまいちその意図するところが伝わってこなかったように思う。
学生時代に、私の卒論ゼミの担当の杉野要吉先生が、中野重治の次に堀辰雄を研究しているという話をしていたことをふと思い出した。確かその際に杉野先生は、堀辰雄こそがプロレタリア作家だと述べていたと記憶している。戦争の最中で恋愛を描くというのは一番の反戦メッセージとなる。宮崎駿版『風立ちぬ』はそうした戦争と恋愛の直接的な相克がうまく描かれていなかったのではないか。
大学案内研究:北里大学
北里大学全体の大学案内(2014年度版)を読む。
北里大学というと、世界的な細菌学者で、近代医学と衛生行政の発展に貢献した北里柴三郎が「創立」した大学というイメージが世間的には流布している。しかし、北里大学が開学したのは北里柴三郎が亡くなって30年後の1962年のことである。まず衛生学部が開設され、翌年から怒濤のように学部開設が続いていく。1964年に薬学部、1966年に畜産学部、1970年医学部、1972年水産学部、1986年看護学部と続き、1994年には衛生学部が改組され理学部と医療衛生学部が開設されている。
現在では、「生命科学の総合大学」を標榜し、生命現象を分子レベルで捉える理学部(物理学科、化学科、生物科学科)と、健やかで快適な生活を目指す薬学部(薬学科、生命創薬科学科)、医学部、看護学部、医療衛生学部(健康科学科、医療検査学科、医療工学科、リバビリテーション学科)、地球環境の保全や生物資源の有効な利用法をさぐる獣医学部(獣医学科、動物資源科学科、生物環境科学科)と海洋生命科学部の7学部が置かれている。他に新潟に北里大学保健衛生専門学校、埼玉県北本市に北里大学看護専門学校が併設されている。
2年次以降の獣医学部は実習施設の整った青森県十和田キャンパスに、2年次以降の薬学部は東京白金キャンパスで学ぶが、それ以外の全学生は1033床の大学病院の位置する相模原キャンパスで学ぶ。「チーム医療」を実地で学ぶ環境が用意されており、医療衛生分野では最高の環境と言っても良い。
別の学部パンフレットが用意されているので、詳細なカリキュラムなどは分からないが、どの学部学科も、充実した実習環境と「一般教養・人間性・学問の基礎→専門分野の基礎知識・専門性の習得→実習→卒業論文・研究・国試対策」という体系だった流れが説明されている。
北里大学は「日本細菌学の父」とも称される北里柴三郎氏を学祖と仰いでいる。北里氏はドイツに留学している時、ペスト菌を発見したり、破傷風菌やコレラの毒素を抽出したものをウサギに注射して、抗毒素を持った血清をヒトに注射することによって予防、治療するという血清療法を発見したりして、第1回ノーベル賞候補にもなっている。その彼が1892年に創立した私立伝染病研究所は、1914年に文科省に移管されることになる。それに抗議した北里氏ら全研究員は共に辞職し、私財を投じて北里研究所を設立することになった。詳細は不明だが、主に結核サナトリウム施設の流れを汲む付属病院を抱え予防治療の研究を細々とやっていたようだ。また、北里氏は福沢諭吉の亡き後、慶応大学に医学部を創設し、初代医学科長に収まっている。そして、1962年に北里柴三郎の名前を借りる形で、研究所と看護系の学校を母体に大学設立に至っている。北里氏自身は他大学である慶応大学医学部創立者であるため、北里大学は「北里柴三郎の学統を受け継ぎ、地球の未来へつなぐ」という意味の取りにくいキャッチコピーを用いながら、医学から生命科学へと守備範囲を広げ、差別化を計っている。
いずれにせよ、北里大学の成功は50年前はド田舎であった相模原郊外にだだっ広いキャンパスを構え、教養部を置いたことであろう。これによって後の学部増設が容易になり、サークル活動の活性化や付属病院との連携もできるようになった。
理事会が適正に運営され、付属病院の利益を学生に還元され、学費がもう少し安くなってくると魅力的な大学となろう。
大学案内研究:高崎商科大学・高崎商科大学短期大学部
高崎商科大学・高崎商科大学短期大学部のパンフレット(2014年度版)を読む。
高崎市にある公立大学の高崎経済大学とかぶってしまうが、全くの別物である。
1988年に開学した高崎商科短期大学が元となり、2001年に4年制の流通情報学部を置く高崎商科大学が開学している。2006年に大学院が開設され、現在では商学部商学科のみの高崎商科大学と現代ビジネス学科を置く高崎商科大学短期大学部が設置されている。
やはり近隣の高崎経済大学を意識しているようで、センター特待制度や、国公立大学との併願が可能な特待生試験が設けられている。都内の早稲田大学や中央大学なども上位の国立大学不合格者の受け皿としてセンター利用試験合格者を増やしている昨今、高商大のこうした制度は戦略としては間違っていないと思う。むしろ高崎経済大学にとってはよい刺激となるであろう。また、空手道部が強化指定を受けている。
4年制の方は入学後に、流通・マーケティング、情報・メディア・eビジネス、経営・経済、会計・金融、観光・ホスピタリティ、地域・国際・キャリアの6つのコースに分かれ、それぞれ専門科目を学んでいく。コース内で選択の余地はないが、他のコースも組み合わせることができるようになっている。
この大学の売りは、公認会計士や税理士試験予備校として有名なTACや会計教育サポート、教員採用試験の合格実績に定評のある東京アカデミーと連携して、学内にWスクール専門の校舎を用意し、割安な料金で受講できるPCDプログラムという体制である。公務員プログラム、会計士・税理士プログラム、教員プログラムに加え、3回の留学でTOEIC800点以上を目指すバイリンガルプログラム、人気企業内定獲得目指すアドバンスキャリアプログラムなどが用意されている。また、成績優秀者は受講料免除などの特待制度が用意され、受講した科目が最大で26単位も卒業要件単位として認められる。また、キャリア支援は充実しており、1年次より全6回の実践SPI講座が設けられ、2011年度で就職希望者130名のうち、124名が就職している。
短大の方は、医療事務・ドクタークラーク、健康・スポーツ・ビューティー、ホテル・観光・ブライダル、経営・会計の4つコースが設けられている。カリキュラムなど見ても中身はないのだが、顔写真入りのきらきらしたおしゃれなレイアウトで、学びや職業のイメージはよく伝わってくる。2011年度で就職希望者111名に対し、就職者106名という実績を出している。
2013年5月現在、収容定員800名に対し在籍は689名であり定員は満たしていないが、キャンパスの位置や歴史を考えれば、十分健闘していると言ってよいだろう。
群馬県内に大学は少ないので、地元の群馬県、埼玉県北部の高校生にとって、高崎経済大学の一番手の受け皿として延命していくのであろう。同じ市内の高崎健康福祉大学との合併ないし連携という形を取れれば、医療系と経済商学系でスケールメリットが出てくると思うのだが。学校法人なので株式会社のM&Aのようにうまくはいかないであろう。