大学案内研究:北里大学

北里大学全体の大学案内(2014年度版)を読む。
北里大学というと、世界的な細菌学者で、近代医学と衛生行政の発展に貢献した北里柴三郎が「創立」した大学というイメージが世間的には流布している。しかし、北里大学が開学したのは北里柴三郎が亡くなって30年後の1962年のことである。まず衛生学部が開設され、翌年から怒濤のように学部開設が続いていく。1964年に薬学部、1966年に畜産学部、1970年医学部、1972年水産学部、1986年看護学部と続き、1994年には衛生学部が改組され理学部と医療衛生学部が開設されている。
現在では、「生命科学の総合大学」を標榜し、生命現象を分子レベルで捉える理学部(物理学科、化学科、生物科学科)と、健やかで快適な生活を目指す薬学部(薬学科、生命創薬科学科)、医学部、看護学部、医療衛生学部(健康科学科、医療検査学科、医療工学科、リバビリテーション学科)、地球環境の保全や生物資源の有効な利用法をさぐる獣医学部(獣医学科、動物資源科学科、生物環境科学科)と海洋生命科学部の7学部が置かれている。他に新潟に北里大学保健衛生専門学校、埼玉県北本市に北里大学看護専門学校が併設されている。
2年次以降の獣医学部は実習施設の整った青森県十和田キャンパスに、2年次以降の薬学部は東京白金キャンパスで学ぶが、それ以外の全学生は1033床の大学病院の位置する相模原キャンパスで学ぶ。「チーム医療」を実地で学ぶ環境が用意されており、医療衛生分野では最高の環境と言っても良い。

別の学部パンフレットが用意されているので、詳細なカリキュラムなどは分からないが、どの学部学科も、充実した実習環境と「一般教養・人間性・学問の基礎→専門分野の基礎知識・専門性の習得→実習→卒業論文・研究・国試対策」という体系だった流れが説明されている。

北里大学は「日本細菌学の父」とも称される北里柴三郎氏を学祖と仰いでいる。北里氏はドイツに留学している時、ペスト菌を発見したり、破傷風菌やコレラの毒素を抽出したものをウサギに注射して、抗毒素を持った血清をヒトに注射することによって予防、治療するという血清療法を発見したりして、第1回ノーベル賞候補にもなっている。その彼が1892年に創立した私立伝染病研究所は、1914年に文科省に移管されることになる。それに抗議した北里氏ら全研究員は共に辞職し、私財を投じて北里研究所を設立することになった。詳細は不明だが、主に結核サナトリウム施設の流れを汲む付属病院を抱え予防治療の研究を細々とやっていたようだ。また、北里氏は福沢諭吉の亡き後、慶応大学に医学部を創設し、初代医学科長に収まっている。そして、1962年に北里柴三郎の名前を借りる形で、研究所と看護系の学校を母体に大学設立に至っている。北里氏自身は他大学である慶応大学医学部創立者であるため、北里大学は「北里柴三郎の学統を受け継ぎ、地球の未来へつなぐ」という意味の取りにくいキャッチコピーを用いながら、医学から生命科学へと守備範囲を広げ、差別化を計っている。

いずれにせよ、北里大学の成功は50年前はド田舎であった相模原郊外にだだっ広いキャンパスを構え、教養部を置いたことであろう。これによって後の学部増設が容易になり、サークル活動の活性化や付属病院との連携もできるようになった。
理事会が適正に運営され、付属病院の利益を学生に還元され、学費がもう少し安くなってくると魅力的な大学となろう。

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