中野翠『斎藤佑樹くんと日本人』(文春新書 2007)を読む。
甲子園で活躍した現早大野球部主将の斎藤佑樹くんの持つ「かっこよさ」を、古今の日本人男性との比較を通して追究している。中野さんは、斎藤投手の目もとの涼しさは勿論、受け答えの素晴らしさや野球に徹する性格の強さも「かっこよさ」の要素であると述べる。そして彼には、50年前の長嶋茂雄と同じくドラマを引き寄せてしまう天性の力があるという。斎藤投手は「文武両道」「初志貫徹」といった四字熟語が似合い、昔の日本の男の匂いがすると述べる。
一女性として、一日本人として、同意を求めるような文体で迫ってくるので、ついつい納得してしまうところが多かった。
月別アーカイブ: 2009年12月
パンフレット研究:東洋英和女学院大学
1884年にキリスト教宣教師によって設立された「東洋英和女学校」を母体として、1989年に横浜郊外に開学した新しい大学である。
田園都市線の青葉台駅、相鉄線の三ッ境駅のいずれからもバスで20分ほどの不便な場所にある。キリスト教教育を中心に据え、人間科学科と保育子ども学科からなる人間科学部と、国際社会学科と国際コミュニケーション学科からなる国際社会学部の2学部で構成される。横浜近郊の私立高校出身者が多く、就職や資格といった目先のことにガツガツせず、幅広く教養、知性を学ぶことに重きが置かれている。
多摩市にある恵泉女学園とよく似た大学で、付属の中学高校が超進学校で、その卒業生の受け皿として大学が置かれている。そのため経営的に安定しており、授業内容や大学全体に他大にはない余裕が感じられる。
『2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?』
ひろゆき『2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?:巨大掲示板管理人のインターネット裏入門』(扶桑社新書 2007)を読む。
言わずと知れた2ちゃんねるの運営代表西村博之氏のインタビューや対談をまとめた本である。タイトルとは関係のない話がほとんどである。ひろゆき氏は2ちゃんねる意義について、政治的な主張や反権力的な意見、また嘘か本当か分からない玉石混淆な情報諸々がフラットに表現できる「公共性」にあると述べる。その他、メディアとの関係や法律、プログラミング技術など、話は多岐に渡るのだが、これという結論は出されない。
パンフレット研究:埼玉医科大学保健医療学部
埼玉医科大学保健医療学部のパンフレットを読む。
既存の医学部付属の専門学校や短大が四年制大学として再編された新しい学部である。埼玉県西部の日高キャンパスに看護学科、健康医療学科、医用生体工学科が置かれ、川越キャンパスに理学療法学科が設置されている。あくまで医学部や付属病院を支えるための学部学科なので、病院経営に都合の良い形で再編が繰り返され、現在でも学部としての一体感に欠けている。
ただ、医用生体工学科は東日本に2つしかない臨床工学技士の養成校に指定され、付属病院との連携があり、専門学校とは違う深い勉強ができそうだ。
本日の東京新聞朝刊から
本日の東京新聞一面の天皇特例会見に関する記事が興味深かった。
記事によると、宮内庁が定めた「陛下との会見は1ヶ月前までに申し込む」というルールを無視して、小沢一郎民主党幹事長が中国習近平国家副主席と天皇との会見を設定したことに端を発する。
羽毛田宮内庁長官は「陛下の国際親善は国の大小や政治的重要性で行ってはいない。憲法上も政治的中立になさってきた。内閣の命令には従うが、陛下のお務めの在り方を守るのが私の役割だ」と強調。さらに「憲法のひとつの精神として天皇は政治的に中立であるべきだとされている」と反論した。
その発言に対して、小沢民主党幹事長は「天皇陛下の国事行為は、内閣の助言と承認で行われるのが憲法の本旨。それを政治的利用と言うのなら、陛下は何もできない。国事行為は全部政治利用になっちゃう」と述べた。
また、安倍元首相は記者団に対し、「これまで幻覚に運用してきたルールをいとも簡単に破ってしまったのは、今後の天皇の政治利用という面でも大きな禍根を残した」と指摘した。
羽毛田宮内庁長官の言う「政治的に中立」というのは、少しずれていると思う。小沢氏の「国事行為は内閣の助言と承認で行われるのが憲法の本旨」という見解の方が字義上は正しい。基本的に外交は、内閣もしくは立法府の100%の責任のもとで行われるべきである。
日本国憲法第7条第9号に「外国大使及び公使を接受すること」とある。「接受」とは「受け入れる」ことであり、そこに選択的ニュアンスは含まれない。宮内庁の言う「政治的中立」に政治的意味を与えることは、国民主権の点からも止めた方が良い。
しかし、一方で明仁さん個人にも政治的自由はあってしかるべきであり、彼自身に納得する時間は必要であろう。
この手の話が出てくるたびに、天皇制そのものが制度疲労を起こしていることに気がつく。天皇制度そのものも事業仕分けの対象にならないのであろうか。国民の象徴という重責を生まれる前から負わされる現行の天皇制度では、日本国憲法に縛られている家族が可哀想である。早く国家の抑圧から解放してあげた方がよいと思う。