福岡伸一『できそこないの男たち』(光文社新書 2008)を読む。
TBSラジオで著者の話を聞いて早速ネットで注文した本である。
生物の基本仕様としての女性を無理やり作りかえたものが男であり、そこにはカスタマイズにつきものの不整合や不具合がある。つまり生物学的には、男は女のできそこないだといってよい。だから男は、寿命が短く、病気にかかりやすく、精神的にも弱い。しかし、できそこないでもよかったのである。所記の用途を果たす点においては。必要な時期に、縦糸で紡がれてきた女系の遺伝子を混合するための横糸。遺伝子の使い走りとしての用途である。
本来、すべての生物はまずメスとして発生する。何事もなければメスは生物としての基本仕様をまっすぐに進み立派なメスとなる。このプロセスの中にあって、貧乏くじを引いてカスタマイズを受けた不幸なものが、基本仕様を逸れて困難な隘路ヘと導かれる。それがオスなのだ、と著者は述べる。つまり、メスこそが生命の太くて強い縦糸であり、そして、オスは、そのメスの系譜を時々橋渡しする、細い横糸の役割を果たしているに過ぎないというのだ。このように書くとフェミニズム的な論調に絡めとられてしまいがちであるが、分子生物学の立場から他の動物や昆虫の研究を丁寧に踏まえた科学書である。
そして著書は、返す刀で、2700年あまりにおよぶ男系による皇統を世襲してきたある国の大王の制度に異議を投げ掛ける。ある国の話ということでぼかしてはいるが、男系の皇統制度そのものが生物学レベルでは破綻していると断じる。
(チンギス・ハーンの例を見ても、権力者のY染色体はもっともありふれた染色体であり、元来染色体を半分にわけ、それを別の場所に運び、もう半数に混合して合体すること、それこそがY染色体に課せられた役割である。)かつてアフリカを出発し、アジアを横断し、あるときはチンギス・ハーンとその夥しい数の末裔となって各所へ散り、またある時は日本列島に集まり、さらにははるか遠くベーリング海峡を越えていった男たちがなした最大の偉業。それはモンゴル帝国の完成でもなければ、万世一系の皇統維持でもない。母の遺伝子を別の娘のもとに運び、混ぜ合わせることだったのである。