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「障害者基本法」

大学のレポートで「障害者基本法」についてまとめた。「基本法」としての性格から、具体的な施策は別に法律や政令で定められ、理念的なことしか述べられていないのだが、その中身はここ40年ほど国連や各界の研究者によって積み上げられてきた社会福祉の思想が受け継がれている。是非一読して障害者福祉の現在の地平を確認されたし。

障害者基本法(1970年)第1条(目的)
この法律は、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策に関し、基本的理念を定め、及び国、地方公共団体等の責務を明らかにするとともに、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策の基本となる事項を定めること等により、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策を総合的かつ計画的に推進し、もつて障害者の福祉を増進することを目的とする。

第3条(基本的理念)
すべて障害者は、個人の尊厳が重んせられ、その尊厳にふさわしい生活を保障される権利を有する。
2 すべて障害者は、社会を構成する一員として社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会が与えられる。
3 何人も、障害者に対して、障害を理由として、差別することその他の権利利益を侵害する行為をしてはならない。

「完全参加と平等」をスローガンとする1981年の国際障害者年と、続く83〜92年の「国連・障害者の十年」によって障害をもつ人たちへの差別をなくしていく活動が世界的に進められた。日本では、「心身障害の発生予防」や「保護」を目的とした「心身障害者対策基本法」が改定され、「すべて障害者は、個人の尊厳が重んぜられ、社会を構成する一員として社会・経済・文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会」を保障し、「障害者の自立及び社会参加の支援」というノーマルな社会のあり方を指し示した障害者基本法が策定されるに至った。

施策の策定にあたっては、障害者の年齢や実態に応じて、「障害者の自主性が十分に尊重され、地域において自立した日常生活を営む」ことへの配慮を求めている。施設・在宅を問わず、障害のある人の生命、生活、生涯にわたるQOLの質の向上のため、医療・福祉の分野に止まらず、教育や雇用・就業、所得保障、生活環境の改善、専門職の養成に至るまで、多岐にわたる施策が体系化されている。

また、国民全員が障害者についての正しい理解を持ち、「社会連帯の理念」に基づき協力し、さらに、障害を理由とした差別や権利利益を侵害する行為を禁止することを定めている。

こうした障害者の福祉や障害の予防を総合的かつ計画的に推進するため、政府・都道府県・市町村に「障害者基本計画」を策定する義務を課している。これを踏まえて2002年に閣議決定された基本計画では、ノーマライゼーション及びリハビリテーションの理念に則り、国民誰もが相互に人格と個性を尊重し支えあう「共生社会」の考えが打ち出されている。また、基本計画における重点的な施策と達成目標を定めた「新障害者プラン」も同時に決定され、基本法の理念が具体的な数値目標として具現化されている。

基本法では更に、教育における障害のある児童・生徒と障害のない児童・生徒の交流及び共同学習を積極的に進めることにより、その相互理解を促進する旨が2004年の改定で追加された。障害のある児童生徒との交流の機会やボランティア活動を通じて、豊かな人間性や社会性を培うことを明記した1998年告示の学習指導要領の指針を、改めて行政側に突きつけている。また、同じく、障害者の地域における作業活動の場及び障害者の職業訓練のための施設の拡充を図るため、費用の助成や必要な施策を講じる旨が追加された。

これら教育や施設の監督にあたる都道府県や市町村に対しては、基本計画の策定が努力義務から義務へと改定された。2007年の策定実施に向け、各市町村で様々な取り組みが模索され、実質的な効果があがることが期待される。

"Mr.&Mrs.Smith"

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川口に新しくできた映画館へ、ブラッド・ピット、アンジェリーナ・ジョリー主演の『Mr.&Mrs.Smith』(2005 米)を観に行った。
かっこいい俳優と、きれいない女優の共演によるアクション・ラブロマンスであり、久々にハリウッド映画らしい映画であった。弾丸が乱れ飛ぶ銃撃戦や、周囲もろとも吹っ飛ぶ大爆発にも関わらず、ぎりぎりの所で九死に一生を得る主人公の活躍に、ついつい素直にエールを送ってしまう。

主演のブラッド・ピットがカッコいいと思って観ていたが、後でネットで調べたら41歳のオジサンであった。私も数年後あのようなシュッとした中年になってみたいものだ。。。

まずは腰回りの贅肉から減らさなくては(^_^;)

『赤ちゃん誕生の科学』

正高信男『赤ちゃん誕生の科学』(PHP新書 1997)を読む。
妊娠から出産までの赤ちゃんの誕生にまつわる謎を、医学の見地からではなく、文化人類学や比較行動学の点から明らかにしていこうとする一風変わった本である。これまでの医学では正面切って取り上げられなかった胎教の当否やつわりの仕組み、お産の体位などを、新生児の記憶のメカニズムや男性のつわり、グアテマラのお産といった研究から分析を加えている。

また、ダウン症児発見の出生前診断については、話を大きく広げて予測医療そのものについて警鐘を鳴らしている。生まれつき目が見えない人は人一倍聴覚や肌の感覚が発達して自由に空間を移動することが出来る。また、先天的な聴覚障害の比率が異常に高かったマサチューセッツ州沖のマーサズ・ヴィンヤードという孤島では、島民全員が英語と手話の二言語を併用する文化を形成していたという。

現代人は視覚や聴覚などの限られた感覚システムだけに依拠して情報の獲得を行なう方向へどんどん傾斜を強めてきており、やがては、遺伝子の操作などによって出生前に判明した「障害」は「未然に」防止するといった特定の思想が、人間の誕生前から影響を及ぼすようになってしまう。

このような障害や疾病を完全な理性を持った人間と対立するものと捉える近代主義に陥った現代社会について、著者は次のように述べる。

解決策を見出すためにはとりあえず、われわれの身体がどれほどの可塑性に富むものなのかを、まず認識することが必要なのではないだろうか。そして今日では唯一、個性的な身体とのつき合いができているのが、実に障害者と呼ばれる人々なのである。健常者が身体を画一的に用いて、浅薄に生活しているのに対して、障害者の方が個々人の背負っている障害の質が、各々個性的な分、健常者では埋もれてしまっている可能性を、個性的に活用して生きているように思えてならないのだ。障害者が健常者よりも劣っているなど、とんでもない誤った考え方といえるだろう。障害を持つ人に生き方を学ぶ、障害者学というものが何より求められている。

『最強伝説黒沢』

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福本伸行『最強伝説黒沢』(2003~ 小学館ビッグコミックス)を1巻から6巻まで一気に読んだ。
高校を出て26年間ひたすら建設現場で働いて、彼女も親友もいない独身男黒沢が、自らの存在感を求めるあまりにはちゃめちゃな事件に巻き込まれていく。主人公黒沢は、骨身を削って愚直に日々働いているにも関わらず、部下から慕われず、下手な画策をして墓穴を掘っては職場で浮いた存在になっていく。現代日本は会社仲間やファミリー、若者を中心に動いていくものである。部下からの厚い信頼もない貧乏な中年男黒沢は、職場でも私生活でも疎外感から逃れることができない。思えらくは現代版プロレタリア文学のような設定で話は展開していく。

居酒屋で夜一人、なんこつ揚げとライスセットを頼んでいる姿は、私の独身時代の姿と重なって、哀れみと共感を禁じえなかった。頑張れ、黒沢っ!!

『ぼっけえ、きょうてえ』

 岩井志麻子『ぼっけえ、きょうてえ』(1999 角川書店)を読む。
 第6回日本ホラー大賞に輝いた作品で、短編ながら読みごたえがあった。科学ホラー全盛の今日にあって、村八分による異分子排除や水子の怨念といった日本の怪談の原点をモチーフに、ストレートに恐怖を描いている。評者の荒俣宏氏の解説がズバリ的を射ている。短い文章ながら、うまくまとめられた解説である。是非真似したいものだ。

大賞に輝いた「ぼっけえ、きょうてえ」は、わずか六十枚の片々たる作品だったが、すごくて、しかもおもしろかった。「すごい」ほうは、岡山弁で語られる明治後期の地方事情。よくぞここまでリアルに、と感心した。一方、「おもしろい」ほうは、何といっても語りのテクニックである。決して目新しい題材ではない。しかし、遊廓での遊女と客の寝物語という奇妙なコミュニケーション環境の中で、物語は貧しい社会ゆえの悲劇を語る。評者はかつて、弾圧や拷問を描くプロレタリア文学はホラー小説として再読されるべきだ、と主張したことがあるが、まさにそのような面白さであった。汚れてグロテスクな話がむしろ「厳粛な聖性」に感じられてくるあたりのスリルは、永井荷風の掌編すら思い出させた。