月別アーカイブ: 2005年5月

『日本国憲法を考える』

 西修『日本国憲法を考える』(文春新書 1999)を読む。
 駒沢大法学部教授である著者が、厳格な法定主義の立場から現憲法の制度的、構成上の不備を指摘し、ちょうど自民党の中道的な改憲論を述べる。国民主権と謳いながら、第99条の憲法の尊重擁護義務の主体に肝心の国民が入っていない不備を指摘する。また、「権利」という語はいきおい「権力と利益」を連想させ、力にまかせて私利私欲を実現することが「権利」であるというふうに捉えかねないので、ものごとの条理、道理を表す「権理」という訳語を提案する。不備のある憲法を完成させようとする著者の主張は分かりやすい。

 そして、9条については前文の国際平和への希求を前提に、自衛のための組織保持の明記と徹底したシビリアンコントロール、そして、国際平和維持活動への参加と国際法規の遵守を入れるべきだと述べる。西氏は改憲について次のように述べる。

 第九条の改正が俎上にのせられると、かならず「いつか来た道」に逆戻りするのではないかという議論が出てくる。そのような心配は、十分に理解できる。けれども、戦後の民主主義教育は、そのような逆コースを許すほど、やわではないと私は信じる。一方で国際平和を誠実に希求し、他方で国の安全をきちっと保持しうる内容であれば、国民の合意を得るのにけっして不可能ではないように思えるのだが。

 9条にまつわる改憲問題は9条の条文だけの問題ではない。戦争に反対する声を封殺する自由権や排外主義的な雰囲気を生み出す平等権などとも関わってくる国の根幹の問題である。9条だけに話を限定させ、話を展開させる手法には納得出来ないものが残る。

『転落の歴史に何を見るか』

斎藤健『転落の歴史に何を見るか:奉天会戦からノモンハン事件へ』(ちくま新書 2002)を読む。
内閣官房の行政官である著者が日露戦争を勝利づけた1905年の奉天会戦からソ連に大敗を喫した1939年のノモンハン事件にいたる歴史を政府官僚の組織の立場から総括を加えている。
戦前の歴史というと、明治以降強化された天皇制や帝国主義、軍部の独裁による暗鬱とした全体主義国家とひと括りにしがちである。しかし、実際は明治維新を成し遂げ海千山千を越えてきた元勲が政府の指導者層にいた日露戦争の頃までと、軍隊学校出身者が政治を無視して拡大路線を突っ走ってしまった日露戦争後に大きな断絶があると指摘する。日本海大海戦の劇的な勝利など日露戦争までは欧米の先端的な兵器を巧みに操った戦略をとってきた日本政府であるが、太平洋戦争の頃になると竹槍で米軍機を突き落とせんなどの憐れな精神偏重主義へと陥っていく。そうした変化の分析から、著者は組織の温存と組織内の軋轢をさけようとする人間関係が、結局は残虐な侵略戦争へと流れていったと結論付ける。日本の軍事国家化への道は米軍やテロといった外圧よりも、仲間であること自体を重視する公務員体質の中にその巣窟があるのかもしれない。現役の官僚が書いた本としてはよく出来ている良書である。

1922年に駐日フランス大使であったポール・クローデルは外交書簡のなかで次のように述べている。現在に至る日本の社会体質をよく見抜いている。

今日、日本にやってきた人間がひどく驚くことは、憲法の規定とは無関係に国全体を動かしている主要なメカニズムがどこで機能しているのか、(略)一貫して日本を導いている中心人物がどこにいるのか、そして何を考えているのかを探ろうとしても、さっぱり何も見えてこないことです。(『孤独な帝国:日本の1920年代』)

『アトランティス大陸の謎』

金子史朗『アトランティス大陸の謎』(講談社現代新書 1973)を読み返す。
これまた高校時代に読んだ本である。上記の『失われた〜』とは異なり、プラトンが述べた1万2千年前に大西洋の底に深く水没したというアトランティス大陸はなかったという結論になっている。地質学を専攻する著者らしく、エーゲ海の火山活動に丁寧な分析を加え、プラトンの指摘する理想国家はミノア文明であったと結論付ける。

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『失われた文明:一万二千年前の世界』

A・ゴルボフスキー『失われた文明』(講談社現代新書 1972)を読み返す。
ちょうど紀元1万年くらい前に、『創世記』が伝えるノアの大洪水が実際にあり、それ以前にあった高度な文明がまさしく水泡に帰したのだと述べる。そして、旧世界の英知がピラミッドやインカ帝国のマチュ ピチュの建築に役立ったという。古代の文献を手に遺跡探しに出かけたくなるような入門書となっている。

『女子少年院』

魚住絹代『女子少年院』(角川Oneテーマ 2003)を読む。
全国に9箇所しかない女子少年院の現状と課題を提示する。12年間の法務教官としての矯正指導の体験から、犯罪を起こしどんなにひねくれた少年でも、真剣に本音で向き合えば、必ず子どもは心を開いてくれるという美談調な教育観が展開されている。徹底した性善説に立った上で、受容的な関わりと教育的な関わりのバランスが少年院教育においても、学校教育においても求められると述べる。しかし、具体的な提言もなく、凡庸な教育論に終わってしまっているのが残念だ。