月別アーカイブ: 2003年8月

『オートバイライフ』

斎藤純『オートバイライフ』(文春新書 1999)を読む。
オートバイに関するメカニズムや雑学ではなく,「オートバイ乗りのための〈精神実用書〉」となっている。車で電車でもなくバイクを選択することに意義を求めんとした本である。

(自分を見つめるということについて)オートバイは機械にすぎない。オートバイに過大な期待をしても無駄だ。オートバイは何からも救ってはくれない。自分を救えるのはオートバイに乗る自分しかいない。オートバイに乗っているときも,死んだ振りして会社勤めをしているときも,それは同じ自分自身なのだと認めることは孤独なことかもしれない。けれども,オートバイ乗りはもともと孤独には慣れているはずだ。数百キロの道のりを,たった一人で旅するあいだ,オートバイ乗りが対話をできるのは自分自身だけだ。それをオートバイ乗りは少しも孤独と思わないで,平然とやってのけるではないか。本質的にオートバイ乗りは孤独を恐れない。自我と向き合う勇気を持っている。

著者は片岡義男を敬愛しているためか,ウォルデン森のソローの著作の影響か,「ワイルドな感傷主義」とでもいうべき小説家的な視点からオートバイライフを振り返る。所々に賛同し難い箇所は残るが,上記のバイク乗りが孤独に慣れているという点は同意出来る。決して孤独が好きな訳ではないと思うが,確かにハンドルを握りながら半日もの間,自己としか対話をしないというのは禅に通ずるものがあろう。

PS.この斎藤氏であるが,ネットで調べたところ来週投開票の盛岡の市長選に立候補を決めているそうだ。バイクに乗っている小説家がどのような政策を公約するのか,注目していきたい。

『笑いの経済学』

木村政雄『笑いの経済学:吉本興業・感動産業への道』(集英社新書 2000)を読む。
吉本興業はさんまや紳介など数多くのタレントを抱えた芸能プロダクションであるが,ヤクルトの高津や体操の田中光などスポーツ選手も含め所属タレントは650名を数える。また吉本興業は,東京一極集中が進んだこの日本で,大阪弁と大阪経済の活性化を企業理念の第一とする企業である。

言葉は思考体系,行動体系のインフラです。そのためには大阪弁は捨ててはならないものです。大阪マインドはあの言葉に深く宿っています。先ほど(大阪弁を)芸能界の共通語にと宣言しましたが,実は商売,経済活動の共通語にもと密かに思っています。

東証一部上場企業でありながら,これだけ大阪を前面に出す企業も珍しい。タレントの「笑い」を起爆剤として,大阪経済の牽引役を担わんとする吉本興業という企業に着目していくのも面白い。
また,吉本は単なるタレント事務所の枠を越えて,スポーツ,政治,教育,宗教などを「笑い」によって活性化させていく「感動産業」をビジョンに入れている。確かにスポーツや政治の世界では,テレビ慣れしたスポーツマンや政治家も増え,ニュース番組だけでなく,バラエティ番組にも数多く出演している。また多くの芸能人が様々な形で関わることで,視聴者に親近感を与えている。しかし教育や宗教などはまだテレビの世界には開かれておらず,保守性を保っている。今後タレントが大学・予備校の授業や,宗教活動を受け持つ時代もやってくるのだろうか。

□よしもとシーオージェーピー!公式サイト

「戦争を考える」

本日の東京新聞夕刊に阪神とダイエーで活躍した大野久氏の近況の記事が載っていた。
プロを引退してから教職免許をとって現在東洋大学牛久高校の社会科教師として野球部を指導しているということだ。単なるコーチではなく,担任も受け持ち3者面談もこなしながら,忙しい毎日を送っているそうだ。教員世界の多様化という趣旨を鑑みても,今後どんどんプロスポーツの世界と教育がこのような形で交流が広がればよいと思う。

8月12日から16日まで東京新聞夕刊に「戦争を考える」と題したコラムが連載された。特に大澤氏の危機管理状況が生み出すファシズム的な動向など,なかなか興味深い分析もあったのでかいつまんでまとめておきたい。

8.12 野田宣雄『帝国秩序と軍事力』〜容易に崩れぬ一極支配構造
サミュエル・ハンティントンが指摘した「文明の衝突」的な各文明間の戦争という図式では収まりきれない戦争が相次いでいる。21世紀には,米国を頂点とする全地表的な帝国と,仏・独・露・中などの各文明圏を舞台とする副次的な小帝国の二層の秩序がそのときどきに微妙に相互の力関係を変えながら,自らの秩序を擁護し安定化させるために軍事力を行使するようになるだろう。

8.13 渡辺えり子『判らないことだらけ』〜物言える時になぜ無関心装う?
今の日本の大人たちは逆に大戦の記憶から逃れられなかったせいで無関心をという衣を着込んだのではないか? それは絶対権力が強かった時代から自己主張を封印することが美徳だと考えざるを得なかったころの癖が続いているのだろう。とすれば,私たち,戦後生まれの世代が自由な頭で本当の平和,本当の豊かさを探り,子どもたちに「非戦」の大切さを教えて行かねばならないだろう。

8.14 姜尚中『「イラク戦争後」の世界』〜脅威を生み出し,米国の存在喧伝
イラク戦争において米国に同調した日本と英国,この3国は本土での大規模な地上戦を経験したことがない。一方反対の意思を明かにした有力諸国は,かつて地上戦で膨大な人命の犠牲を余儀なくされている。そう考えると,アメリカとその有志同盟国である日英と,ユーラシアとの対立が,天然資源や戦略的資源エネルギー問題も絡んで,今後の世界を彩る基調になっていくことが予想される。

8.15 Urvashi Butalia『世代を超え「心の傷」』〜元には戻らぬ社会生活の織り目
戦争や紛争が起きた時,女性たちが多くの場面で最も酷いめに遭うが,しかしながら平和について話し合いが持たれるとき,そこに女性たちはいない。だからこそ,戦争を起こす人間ではなく,傷付きやすい者,貧しい人々,子どもたち,女性たち,老人たちや弱い人々の立場から,戦争の原因と結果の両面においてあらゆるレベルで戦争に抵抗しなければならない。

8.16 大澤真幸『能動的な自己放棄』〜他者の不確実性 まず受け入れを
昨年提起されたブッシュ・ドクトリンの特徴は,先制防衛というアイデアにある。先制攻撃が防衛と解しうるのは,ことが起きる前に,他者が攻撃してくることが,つまり他者が狂気であることが確実だからである。今やアメリカは,イラクやイラン,北朝鮮など反米的な原理主義者の存在そのものに耐えられないところにまできているのだ。
しかし非肉なことに,アメリカの同調する先進資本主義国の側でもネオナチやハイダー,ブキャナンなど原理主義者を連想させる極端なポピュリストや人種主義者が生まれている。もしわれわれが他者の他者性(不確実性)を過度に恐れるならば,つまり異質な他者の攻撃(テロと戦争)や侵入(スパイ)を恐れるならば,われわれが手にするのは,結局,原理主義者が求めていたものとさほど変わらない社会になる。というのも,狂信的な民族主義や人種主義の言葉を退けたとしても,今度はセキュリティーへのきわめて現実的で世俗的な配慮のもとづいて,ときには人種主義的とも目される排除が正当化され,自由が圧殺されうるからである。原理主義者が,表面上の政治的敗北を通じて,結局,「初志」を貫徹することになるのだ。
それならば,われわれは他者の他者性を全面的に受け入れ,その脅威を骨抜きにするしかない。哲学者ジル・ドゥルーズはかつて,サドとマゾとが相補的な関係にあるという通念は間違っており,マゾは,むしろ,サド的な攻撃を無効化する方法であると述べている。もし従属者が自己への攻撃に快楽を覚えているとするならば,サド的な主人の拷問は拷問でなくなってしまうからである。だから国際政治の場面においても,われわれが能動的な自己放棄に快楽を見出すならば,もはやわれわれへの攻撃は無意味なものとなるだろう。自己放棄,これこそが積極的な平和主義である。

『踊る大捜査線THE MOVIE 2:レインボーブリッジを封鎖せよ!』

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本広克耕監督『踊る大捜査線THE MOVIE 2:レインボーブリッジを封鎖せよ!』(2003 東宝)を観に行った。
テレビ版も前作の映画も観ていないせいもあってか,楽しむことが出来なかった。狙いなのだろうが,いかにもテレビ番組的などたばた劇が展開され,官僚主義に守られた警察組織vs人間味溢れる現場警官というお定まりの構図で話は進んでいく。内容的にどうこういう代物ではない。地方在住の方を対象とした,観光地お台場の宣伝番組といった趣だ。フジテレビ周辺を逍遥しながら,「この場所映画に出てたよね」と楽しく談笑しながら写真を撮って土産話とするにはうってつけの内容である。

□ 映画『踊る大捜査線THE MOVIE 2:レインボーブリッジを封鎖せよ!』公式サイト □

『日本の宇宙開発』

中野不二男『日本の宇宙開発』(文春新書 1999)を読む。
宇宙開発は原子力同様,民生技術も容易に軍事用に転用できるため,宇宙開発事業団を設置する際,衆参両院で「宇宙開発は平和目的に限定する」という原則を設けている。

「わが国における宇宙の開発及び利用の基本に関する決議」 1969年5月9日 衆議院
わが国における地球上の大気圏の主要部分を超える宇宙に打ち上げられる物体及びその打ち上げ用ロケットの開発及び利用は,平和の目的に限り,学術の進歩,国民生活の向上及び人類社会の福祉を図り,あわせて産業技術の発展に寄与するとともに,進んで国際協力に資するため,これを行うものとする。」

しかし,平和目的に限定しすぎたがために,再突入技術や軌道修正の技術などが,ICBM(大陸間弾道ミサイル)に抵触するとして,開発を許されることはなかった。「協調路線」という日米安保を基軸としたアメリカの傘下の中で,糸川英夫を中心とした東大・生産技術研究所の独自路線も光を浴びることはなかった。一方アメリカであるが,かたや日本やヨーロッパ各国には「協調」という名のものとで技術公開を迫り,片や先鞭をつけたインテルサット(アメリカによる通信衛星システムを利用した全地球規模ネットワーク)の障害となるような行動をする国には一切の協力を拒むといった宇宙開発の姿勢はそのままアメリカの20世紀の国家戦略を象徴している。