読売新聞大阪本社編『潰れる大学,潰れない大学』(中公新書 2002)を読む。
ここ3・4年ほどの大学改革の実際の進展と大学全入時代に向けた大学教育のあり方への提言をまとめたものだ。大学改革と一口にいっても様々思惑が絡み,さらに独立行政法人化と少子化による経営難が拍車をかけ,大学人の悩みも深いようだ。受験者獲得のために入試科目を減らしたところ,基礎的な学力が欠けた学生が増えたり,国際化に対応するため留学生枠を拡大したところ,就労目的の留学生の抜け道に使たり,就職難への対応として資格関連の学部や授業を増やさんがために人文系の学部や授業が削減されたり,夏のAO入試から3月入試まで受験生確保のスケジュールに終われて研究がままならない状況など,改革も一筋縄では行かないようだ。また「21世紀COEプログラム」など予算の重点化の中で,各大学の個性を「強制」され,た「トップ30校」などの大学序列化(役割分担)の行き着く先にどのような大学の青写真を描けるのだろうか。現在の日本の教育や経済,政治の歪みが端的に現れるという点だけは戦後一貫して変わらないようだ。
ちょうど私が大学3年生ぐらいの時に受講した「教育行政学」の授業に提出したレポートがパソコンの中にあった。当時の大学審議会答申では,臨教審の流れを受けて,大学はレジャーランドから,産業構造の変革に対応した改革を目指すべきだというまだ抽象論が目立っていた。しかしここ3年くらいで東大の先端科学技術研究センターなど大学のR&Dを特許化しライセンス販売するなどの産学連携機関まで誕生するようになった。アメリカのプリンストンやハーバードが目標なのであろうが,そこに学問としての長期的な視野は伺われない。つまり「COEプログラム」を見ても公害研究や文学,歴史などの研究は採択されていない。また現在応募を募っている,「特色ある大学教育支援プログラム」の選定基準にも「公共性(社会的使命)を備えていること 」と文科省に都合のよい恣意性が介在している。