『社会福祉士・介護福祉士になるには』

大橋謙策『社会福祉士・介護福祉士になるには』(ペリカン社 1996)を読む。
社会福祉士の仕事の概要をおおよそつかむことが出来た。作者は社会福祉士の仕事をしていく上で望まれているポイントとして以下の5点を挙げる。

  1.  深い人間愛こそが、“福祉の心”の出発点であること。
  2.  「ためにする」から「ともに生きる」ことの感性を育てること。
  3.  “歴史の重さ”に裏付けられ、社会の中で生きていることを考えること。
  4.  「単眼」から「複眼」へ見方を拡げ、サービスを関連づけること。
  5.  “物”の援助のみではなく、人権尊重をふまえ、人間理解を深め、ひとりひとりの自立生活を援助すること。

大橋氏は得てして弱者に対して過剰な「ためにする」献身的態度を否定し、現在の社会福祉の地平が歴史的に積み重ねられたものであるという認識を持ち、「ともに生きる」共生社会実現に向けたオーガナイザーとしての社会福祉士を熱望する。制定当時の厚生省の社会局(当時)と健康政策局との調整がつかず、社会福祉士と精神保健福祉士が分立してしまうなど、縦割り行政の弊害が指摘されているが、そうした会議室で決定した下らない役割分担を越えて、住民主体のサービスの従事する心構えが、現場で働く社会福祉士一人一人に問われている。

『独創人間』

軽部征夫『独創人間:閃きを生む「カルベイズム」14の法則』(悠飛社 1996)を読む。
東大先端研に所属する軽部教授のオリジナルなものを生み出す発想法を拝聴するというお手盛りな内容となっている。

「ブラインドとしてのオリンピック」

本日の東京新聞夕刊の星野智幸氏の「ブラインドとしてのオリンピック」と題したコラムが興味深かった。
今月に入ってからアテネ五輪の報道がテレビ新聞を賑わせており、「ニッポン」が連呼され、金メダルラッシュによって君が代が何度も流れた。「左翼」的な文脈に乗るならば、「健全」なスポーツを隠れ蓑にして天皇制ナショナリズムが強化されたと書くところだろう。しかし、筆者はそうした安易な議論に異議を差し挟む。なぜなら、本当にナショナリズムが高揚しているのだったら、大会期間中に起きた沖縄米軍ヘリ墜落事故に対して強烈な反米感情が沸騰しているはずであり、政治的なナショナリズムとスポーツにおける愛国感情とは一体のものではないという証明になっていると述べる。

オリンピックはナショナリズムを煽り立てはしない、と私は思う。ただひたすら、見る者を高級な非日常に「日本」という名前を与え、感動の物語に変える。現実の構造とは切り離された、気分の上だけの淡い愛国感情と一体感が、現実を見ないことを正当化する。むしろ、今の日本はナショナリズムに対して免疫がないと思う。五輪で目を逸らしているうちに無意識に蓄積された鬱屈が、いざ現実を直視させられたとき、非常に安直な形のナショナリズムとして爆発することを私は恐れている。

『スチームボーイ』

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大友克洋監督アニメ『スチームボーイ』(2004 東宝)を観に行った。
産業革命勃興期にいち早く工業化を果たし、「世界の工場」の座に着いたの19世紀のイギリス、ロンドンが舞台である。スティーブンソンによる蒸気機関車の発明によりアジア・アフリカの植民地化が加速化し、「科学」やら「国家」「文明」なるものに振り回され、第一次世界大戦によって破壊されていくヨーロッパの雰囲気をうまくどたばた調に描いている。国家を独占資本企業が支配していく帝国主義の発達の萌芽をロンドン万国博覧会に織り交ぜながら、ロバート・オーウェンが指摘したような工場労働者の過酷な労働環境の改善を訴える人物や、二枚舌外交を演じたロスチャイルド家のマーク・サイクスに似たような人物までも出てきて、時代考証はびっくりするくらい丁寧に出来ている。しかし芸術のような絵、壮大な音楽に比して、人形のような登場人物が舞台設定に対してあまりに緊迫感のないセリフを口にする。また物語世界の中では数週間ちかくの時間が経っているはずなのに、人物像の描き込みが少ないため、その時間の流れが感じられず、薄っぺらな内容になってしまっている。また宮崎駿の『天空の城ラピュタ』を彷彿させるようなシーンやセリフが多かったのも興ざめだ。部分部分のアクションシーンなどはアニメとCGの合成により迫力満点なのに、完璧を求めすぎたのか、全体の流れが淀んでしまったような内容になってしまったのは残念だ。

□ 映画『スチームボーイ』公式サイト ::STEAMBOY:: □

『星の王子さま』

サン・テグジュペリ『星の王子さま』(岩波少年文庫 1953)を読む。
星を旅する王子さまと飛行機故障のため砂漠に往生する私の何気ない会話や思い出話で話が進行していくほのぼのとした作品である。しかし、物事を常識や経験でのみ捉えようとし、素直にものを見、関係を結ぼうとしない大人のつまらなさを逆説的に導き出していく高度な絵本となっている。