『ヴォーゲル、日本とアジアを語る』

エズラ・ヴォーゲル、橋爪大三郎『ヴォーゲル、日本とアジアを語る』(平凡社新書 2001)を読む。
『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を書いた元ハーバードの教授であるエズラ氏が、中国と日本を中心にアジア特有の政治形態、教育制度を橋爪氏に語る対談となっている。米国では1920年代に、攻撃や占領のための戦略として日本の言語や習慣の研究が始まったのに、日本では正反対に、日本を研究している米国人はすべて「親日家」「知日派」とレッテルを貼ってしまう。このギャップを変えていくことはなかなか難しいことだろう。

『中国に残された子どもたち』

仕事の関係で中国関係の本を少し読もうと手に取ってみた。
古世古和子『中国に残された子どもたち』(岩波ジュニア新書 1986)を読む。
分かっていたことだが、満州にてソ連軍が侵攻してきたときの関東軍の同胞である日本人に対する非道な対応に改めて悲しみを感じる。

『親子不全=〈キレない〉子どもの育て方』

水島広子『親子不全=〈キレない〉子どもの育て方』(講談社現代新書 2000)を読む。
子どもの個性や価値を認めようの一点張りの内容で、読んでいて話の展開がなくつまらない話だった。
摂食障害やジェンダーを専門とする精神科医である著者は徹底して子どもの側に立つのだが、「キレる」原因やその解決策を親子共々コミュニケーション能力の獲得にのみに求めようとする意見は、読んでいて飽きが来てしまう。教育論としてこの本を読む場合、他の参考文献と合わせて読むことをオススメする。ただ、著者の専門でもある「性格」の研究で、性格の構造を遺伝と環境の両面に求め、合理的な7つの因子に分けたクロニンジャーの研究は興味深い。

『人口学の周辺を歩く』

嵯峨座晴夫『人口学の周辺を歩く』(家族計画国際協力財団 1995)を読む。
あちらこちらの雑誌に書き散らした雑文を集めただけの内容で読む価値はない。
著者は早大の人間科学部の教授ということだが、おそらく関係する財団の好誼で発行されたものだろう。

「9・11後の世界:あの日は何だったのか」

本日の東京新聞の夕刊に西谷修氏の「9・11後の世界:あの日は何だったのか」と題したコラムが載っていた。
その中で、西谷氏は「平和」と「安全」の違いを指摘する。国と国との「戦争」はいずれ終結することで「平和」がやってくる。しかし、「テロ」集団との戦いは相手が見えず、不断に「安全」を確保するために軍事行動を続けなくてはならなくなると述べる。イラク戦争で問われているのは暫定政府への平穏な政権委譲によってもたらされる「平和」の定義ではなく、文明社会を遮二無二守ろうとする米国の際限ない「安全」の定義である。

「テロと戦争」の発動以来、「平和」という観念は追放された。代わって「安全」が戦争の旗印になる。「米国の安全のために、米軍は国外で戦い続ける」、二期目の出馬に際してブッシュはそう強調した。そしてこの戦争は、「文明世界」に属するあらゆる国々が参加すべき戦いだとも言う。豊かさのなかで「安全」に生きるためには、終わりのない戦争を続けねばならないというのだろうか。豊かさと繁栄は「平和」とともにあるのではなく、戦争によって確保される「安全」のもとにしかないと。