『バカの壁』

 遅ればせながら、養老孟司『バカの壁』(新潮新書 2003)を読んだ。
 話としては特に目新しいこともなかった。先月に大脳の機能に関する本を10冊近く読んでいたので、楽しく読むことができた。社会と人間の関わりという諸学問のすべてを概観する「脳社会学」の立場で人間を分析していく。途中気になる表現も多かったが、バランスがうまく取れていた。特に文系向けの脳に関する本では、この「バランスを取る」ということが難しい。

 (イラクかアメリカかといった一元論的な思考をする人の例を紹介)この辺の硬直性を見ると、考え方が戦前に近くなっている人が増えているような気がする。一神教的な考え方は日本の中だってたくさんあります。例えば戦時中の八紘一宇、世界を天皇を頂点とした一つの家と考える、なんて考え方は、その代表例です。ついこの間それをやって、こりごりしているはずなのに、また一元論で行くのか、と思う。
 天皇制だって、昭和の初年ぐらいまでは、その後の太平洋戦争中ほど絶対化されたものだったとは思えない。天皇を国の一機関として捉える天皇機関説なんてものがあってくらいですから。ところが、戦争が始まってから、どんどん神格化されていった。
 その頃のことを考えれば一番分かり易いのですが、原理主義が育つ土壌というものがあります。楽をしたくなると、どうしても出切るだけ脳の中の係数を固定化したくなる。それは一元論の方が楽で、思考停止状況が一番気持ちいいから。

羽田第二ターミナル

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テレビのバラエティ番組で宣伝してたので、早速「東京に詳しい」埼玉県民根性を発揮して、羽田の第二ターミナルへ出掛けてみた。これまで羽田は大きすぎて飛行機が見られるスポットが少なかったが、この第二ターミナルはわざわざ見物客用に飛行機が間近に見られるように屋上展望台が用意されている。19、20歳の頃だったが、バイクで羽田まで来て、空港のフェンス脇から早朝に缶コーヒー片手に飛行機を眺めていたことをふと思い出した。眼前にどーんという形で見る飛行機もよいが、世阿弥の『風姿花伝』にもあるように、ちらっとかいま見える飛行機もまた良いものである。
しかし、これほど飛行機がはっきりと見え、離陸する姿と音が観客を魅了したら、羽田空港の近くの「翼の見える公園」には人が集まらなくなってしまうのではと要らぬ心配をしてしまう。

『座頭市』

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テレビで録画した北野武監督『座頭市』(2003)を見た。
月並みな表現だが、北野武扮する盲目の浪人である座頭市の落ち着き払った姿が〈静〉の世界を成し、心の緊張を象徴する太鼓の激しいリズムが対比的に〈動〉の世界を作り上げる。画面は暗く動きも少ないのに、効果音だけは高まっていく画面構成が印象的であった。そして最後はタップダンスという形で大団円を迎える。まさに映画ならではの手法である。
思うのだが、この作品をもしノベライズするならば、徹底した心境小説にならざるを得ないであろう。

『オレンジの壺』

先週で佛教大学の通信教育の最終試験が終わって、やっと一息ついたような日々を過ごしている。やらねばならないことはたくさんあるのだが、しばらくは読書や運動など充電期間に充てたいと思う。気持ち的なゆとりがないと次へ向かう元気も出ない。

宮本輝『オレンジの壺』(光文社 1993)を読む。
何年か本棚に眠っていた本であったが、海外を舞台した小説が読みたいと思い手に取ってみた。単行本で上下500頁近くの作品であったが一気に読んでしまった。祖父が残した日記を巡って、1920年代の第1次大戦後のヨーロッパの秘密組織の謎が段々と明らかになっていく。そしてその謎を追ってパリ、エジプトへ旅だった佐和子の人間的成長も合わせて話が展開される。雑誌に連載された小説ということだが、終わり方が何とも慌ただしく、すっきりしない作品であった。