『雨の日のネコはとことん眠い』

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加藤由子『雨の日のネコはとことん眠い:キャットおもしろ博物学』(PHP研究所 1990)を読む。
いくら人間の家畜としての歴史が長いとは言え、ネコには元来の肉食動物として本能が備わっており、爪研ぎや排泄などは、ネコ本来の獲物を捕まえたり自らのテリトリーを示す行為の名残である。しかし、私たち人間は人間の勝手な想像力によって、ネコに対して「きれい好き」とか「執念深い」「きまぐれ」といったレッテルを貼ってしまう。揚げ句の果てには「猫に鰹節(油断出来ない)」や「猫を被る(うわべをおとなしく見せかける)」「猫ひろし(意味不明なギャグを連発する?)」などの猫を揶揄した言葉まで作っている。
しかし、猫の習性を少しでも理解すればいたずらにネコを誤解することもなくなるであろう。

我が家のネコはすっかり本能を失った単なるダメネコになりつつある。床にぐたーっと横になって、さながら「笑っていいともー!」と人間のご機嫌を伺っている。

『頭がいい人、悪い人の話し方』

樋口裕一『頭がいい人、悪い人の話し方』(PHP新書 2004)を読む。
小論文指導で著名な樋口氏が小論文の書き方を応用し、相手から信頼を得られる話し方を指南している。スポーツ新聞レベルの知識をさも自分の意見のように話したり、相手の会話を低レベルで理解する者を、筆者は会話の表層しか捉えていないと述べる。
また返す刀で、道徳的な説教をしたり、差別意識を口に出したりと物事をすべて断面的に捉えようとする者に対しては、現実を見ていないと断じる。話し方というよりも、現実の問題の捉え方という観点で提起されており、小論文の副読本として読む方がいいだろう。

ムシキング

今日は近所のウエアハウスへCDを借りに行った。
帰りに店内に置かれていた「ムシキング」のゲームを何気にやってみた。100円で自分の操作するカブトムシの必殺技のカードを購入し、敵のクワガタとジャンケンで対戦するという格闘3Dゲームである。昆虫、キャラクター、必殺技、格闘等々に代表されるように、カードを集めるカタログ的嗜好性や勝ち負けのはっきりする昔のベーゴマやメンコなどの対戦など、男の子が好きそうな要素が多数網羅された仕掛けになっている。生憎私には律義に物を蒐集するという趣味がないので食指が湧かないが、高校生以上の男性でも十分に楽しめるゲームになっていた。

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『歴史とは何か』

岡田英弘『歴史とは何か』(文春新書 2001)を読む。
なかなか刺激的な内容であった。著書は歴史認識の基礎となっている「国民国家」なる概念自体が18世紀以降に新たに作られたものでしかなく、「国家」とか「国民」という枠組みを使って18世紀以前の歴史を叙述することは全くの時代錯誤だと断定する。
『古事記』は江戸時代に本居宣長が新たに作り直したものであり、日本の天皇制はせいぜい7世紀の神武天皇以降の歴史しかなく、それ以前の系譜は国家が権威付けをするために作った物語でしかないと述べる。

わが家の「主人」

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すっかりわが家の「主人」となったマルクス君。
空の風呂桶にダイブして遊んだり、写真のように洗面台で夏の暑さを癒すことも覚えたようだ。
しかし、一家の主人となっても人間に対する礼儀は忘れず、私や妻が帰ってくると必ず玄関までお出迎えをする。猫も義理にはうるさいのだろうか。
それにしても人懐っこさは変わらず、いや、むしろ悪化してきている。最近では朝必ずベッドの私の顔の近くまでやってきて、枕元にうずくまり、頬や鼻に微妙な毛のタッチを加えてくる。気になって仕方がない。先日などは妻の腕を枕にして寝ていた。なんと人間を小馬鹿にしたような態度だろうか。当分マルクス君に卑下される生活が続きそうだ。

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