福田和也『「作家の値うち」の使い方』(飛鳥新社 2000)を読む。
著者の上梓した小説ミシュランガイドの『作家の値うち』の反響に対する文章や講演、インタビューなどの後日談が収録されている。
『作家〜』はあまり面白くなかったが、こちらの解説本の方が著者の文学のあり方について分かりやすく述べられていて面白かった。
まず福田氏は、『作家〜』に収録された700冊あまりの小説の価値を判断する基準として次のように述べる。
やっぱりバルザック、スタンダール、ディケンズあたりに成立して、せいぜいフロベールまでが継承した”近代社会の中の、相互了解が困難な人間関係の中に起きる大きなうねり”が基本なんです。
そして、とりわけ売れなくても良しとする風潮に甘え、切磋琢磨することの少ない純文学については手厳しい。
(前略)その他の人々の純文学に関わる問いのすべてが、結局は安全地帯の中でしか行われていないように思われるのは、そうした根本的な問いがもたらすはずの過剰なもの、あるいは自己破壊的なスリルがまったくないからである。自らを成立させている基盤まで掘り崩していく問いの過激さは、作品においてきわめて明らかな過剰さを生み出すはずであるのに(後略)
最後に著者は次のように述べる。妙に納得してしまった。
これはよく云われることですけど、『ノルウェイの森』は要するに、漱石の『こゝろ』と同じで、近代文学の三点セット、すなわち「三角関係」と「自殺」と「孤独」という問題を、全部含んでいて、そういう意味では、非常に古典的な、しっかりした近代小説になっている。村上春樹の場合は、小説の構造自体は近代的なんです。