日別アーカイブ: 2020年5月10日

「県内初 荒川源流水で発電へ」

本日の東京新聞朝刊に、秩父市荒川日野で県内初となる小水力発電所の起工式が行われたとの記事が掲載されていた。

小水力発電とは、記事の解説によると「ダムの建設を必要としない小規模な水力発電で、環境への負荷が少なく、設置にかかる負担も少ない」とある。この発電所でも自然流下していく水の「位置エネルギー」だけでタービンを回し、一般家庭数十世帯分の50キロワットの発電が可能になるという。

日本は国土の75パーセントが険しい山地となっており、降雨量も多いので、山間を流れる川も急流が多い。この落差を利用した小水力発電は、同じ再生可能エネルギーである風力や太陽光、波力よりも安定的に電力を確保することができる。また、電力源の分散にもなるので、地震大国日本でもっともっと普及してよい技術である。

地理の授業でも風力発電や小水力発電の実験を計画中である。今年度できるか分からないが、自転車のハブダイナモや、バケツの水程度で発電する簡易モーターを用いた実験が出来れば良いのだが。。。

なぜ実験にこだわっているのかというと、この小水力発電がアフリカの内陸国で導入が進んでいるからです。原油も天然ガスも豊富な水力もない国で電力を作ろうとすると、小水力発電に頼るしかない現実があります。しかし、近年のパソコンやスマホの省電力化が進み、機材一式を設置するだけで小さい川でも集落全体のIT機器の充電を賄うことができるのです。まして最近はリチウムイオン電池の進化もめざましく……。この辺で止めておきましょう。続きは授業で行います。

不思議なことに、どうしても「だ・である」調と「です・ます」調が混在してしまいます。同じ文章なのですが、一般的な内容の部分は「だ・である」調で統一されますが、はっきりと生徒を意識して書いている部分は「です・ます」調になってしまいます。読みにくくてすみません。

関宿城

娘と関宿城までサイクリングを楽しんだ。
昨日購入したジャイアントエスケープR3だが、出発直前まで整備に追われた。前後ホイールのハブのベアリングやVブレーキの調整、チェーンやスプロケのサビ落としなど、やりがいがある作業だった。

「休校のリスク」

ここ3週にわたって、文科省事務次官を務めながら、加計学園問題で煮湯を飲まされ、退官に追い込まれた前川氏が、学校教育に関するコラムを寄稿している。
再掲してみたので、彼の記事を読んでもらいたい。スマホでも画像をクリックすれば読める大きさまで拡大する。

一人の公務員として、新型コロナ感染拡大の恐れのある学校再開の是非について奔放に発言することは難しい。しかし、3児の父として、前川氏の述べる「学習の遅れ、体力低下、生活習慣の乱れ、ゲーム依存」といった「休校のリスク」について、ほとほと手を焼いている。まさにその通りの事態を抱えざるを得ず、休校が延長され暗澹たる思い出ある。皆さんの家庭はどうだろうか。学校が再開されるリスクよりも、休校する方が安全・安心だと言い切れるだろうか。

確かに、休校が続く中で、家庭教育の意味はこれまで以上に重くなっている。しかし、日本では江戸時代の寺子屋制度に見られるように、数百年前から公教育が社会性や人間性の育成の場を担ってきたのである。それを家庭の責任、個人の選択に丸投げするということは、これまでの日本の公教育制度を否定するということに繋がる議論である。

『ブリューゲル・さかさまの世界』

カシュ・ヤーノシュ編『ブリューゲル・さかさまの世界』(大月書店 1988)をパラパラと読む。
16世紀のオランダの画家ピーター・ブリューゲルの3枚の作品について、詳細な解説が加えられている。「子どもの遊び」「ネーデルランドのことわざ」と下記の「バベルの塔」の3作品が取り上げられている。絵の解題というつまらない内容で、全く頭に入ってこなかった。

『花田編集長! 質問です。』

花田紀凱『花田編集長! 質問です。:出版という仕事で生きる』(ユーリード出版 2004)をパラパラと読む。
雑誌『編集会議』(宣伝会議刊)に連載されていた「花田編集長の編集なんでもQ&A」コーナーの内容をまとめたものである。出版業界を目指す学生や実際出版業界に身を置く編集者の悩みにズバリと答える。朝日新聞が嫌いな理由もズバリ「きれい事に終始しているところがイヤ」と回答を寄せている。
雑誌の連載コーナーなので、わざわざ単行本にする必要があったのだろうか。出版業界を目指す学生以外、読む価値はない。