月別アーカイブ: 2018年8月

『指導者 上杉鷹山に学ぶ』

鈴村進『指導者 上杉鷹山に学ぶ』(三笠書房 1992)をサラッと読む。
江戸時代屈指の名君として名高い米沢藩10代藩主の上杉鷹山の政治哲学、経営理念が紹介される。バブル期の経営者向けに書かれた本で、いささか強引な現代的解釈が散見されるが、鷹山の偉人ぶりは伝わってきた。
鷹山は東北地方で数十万人が亡くなった近世最悪の天明の大飢饉(1782〜1788)を一人の餓死者も出さずに乗り切ったことで知られる。鷹山は上杉家の嫡男だと思っていたが、山形とは遠く離れた日向(宮崎県)高鍋藩の二男として生まれている。そして重度の障害を抱えていたであろう幸姫との養子縁組が結ばれて、米沢藩主となった人物である。全くのアウェイな山形県に赴任し、既得権益を主張する輩を説得し、逼迫した藩財政の一大改革を成し遂げている。また、教育にも関心を持ち、現在も高校の名前に残っている「興譲館」を起こしている。
戦国武将のように派手な戦争をしていないし、江戸幕府の中枢で政務を執ったわけでもない地味な存在ではあるが、「もし鷹山が〜〜だったら」と想像を膨らませてみたくなる人柄である。

ちなみに、日光東照宮の社務所の記録によれば、天明3年の6月から8月の92日間の天候は、雨53日(57%)、晴19日(20%)、曇13日(15%)となっており、盛岡や米沢では人口の20%が亡くなり、仙台藩では30万人が餓死・病死したと言われる。吉宗の孫である松平定信が藩主を務める白河藩でも餓死者が一人も出ず、後に松平定信は老中に補され、寛政の改革に取り掛かっている。

『自分を変える読書術』

堀紘一『自分を変える読書術:学歴は学〈習〉歴で超えられる』(SB新書 2015)を読む。
経営コンサルタントで株式会社ドリームインキュベータ代表取締役会長を務める著者が、自身の華やかな経歴を披露しつつ、自分自身の読書論を語る。「細切れの時間を繋いで読書時間を作り出せ」だの「欧米に比べて日本人には教養がないので古典に親しめ」など、紋切り型の読書術であまり参考になるところはなかったが、表現力や感受性を高めるために小説を読めという言葉は印象に残った。

 読書ノートはぜひ書いたほうがいいと思う。(中略)読書ノートにとくに決まりはない。日付、読んだ本のタイトルと著者名を書いたら、その本を読んで自分が感じたこと、心に残った言葉や表現を好きなように書いていけばいい。2行で終わる本があってもいいし、10行くらい熱心に書く本があってもいいと思う。いずれにしても頭に留めるだけではなく、自分の言葉に置き換えてアウトプットすることが読書の深化につながる。それは時間をかけて教養となり、人間力を高める最大のトレーニングになるだろう。

『親鸞』

『親鸞』
千葉乗隆『親鸞 人と歴史・日本 10』(清水書院 1973)を読む。
親鸞は9歳から29歳までの20年間、比叡山延暦寺で修行している。当時の比叡山は日本仏教の最高学府であり、法然や栄西、道元、日蓮もみな叡山で研修している。平安初期、最澄は国家権力と結んで害悪を生んだ奈良仏教(南都六宗)を否定し、遁世して山に入り、仏教的実践によって世の一隅を照らすことを理想とした。しかし最澄の死後、比叡山は次第に社会的政治的権力と結びつき、和合を旨とすべき僧集団が闘争を好み、民族宗教と妥協して堕落した。比叡山に道を求めたものは、かえって山を下り「市井の聖」となる皮肉な現象すらしめすようになった。
そこで、親鸞は当時69歳の法然の下に弟子入りすることになる。法然は「選択本願念仏集」を著したばかりであり、一般民衆にも彼のとく念仏は広く浸透し、その教勢は最高潮に達した時期であった。親鸞は法然の教えに忠実で重要な立場を預かるまでになった。しかし、旧仏教側の弾圧を受け、法然とともに流罪となり、突然越後へ旅立つこととなる。著者の千葉氏は妻帯が原因ではないかと述べる。越後で6人の子どもを設け、その後関東各地を回ったのち、京都で『教行心証』を著すこととなる。

この『教行心証』は宗教の教えが書かれているにも関わらず、親鸞は当初から門弟に書き写すことを許可している。法然の『選択集』が秘書としてその公開を拒否しているにも関わらず、親鸞は大変オープンな形で専修念仏を広めようと考えていた。また、親鸞は仏像や堂塔を否定し、既存の村堂や人家をすこし改造した道場で念仏の集会を開いた。葬祭も否定し、亡き父母の追善供養のために念仏を唱えたことは一度もない。
しかし、親鸞の死後、教団が発展していくにつれ、親鸞の教えよりも開祖親鸞の神格化が優先されていく。権力否定の同胞思想を核としていたのだが、教団護持のために権力者と手を握ることも増えていった。さらに、葬式・法会を通じて形式的に寺と檀家を結合する江戸初期の寺請制度によって、浄土真宗の根底が否定されることになった。
檀家制は宗門改に端を発する。宗門改ではキリシタンと日蓮宗不受不施派を全国的に禁止するものであったが、島津藩ではこれに真宗が加えられることになった。
浄土教は一部の門徒だけでなく民衆にも仏教の門戸を開いたが、浄土真宗はさらにフラットな関係の構築を目指した。Web2.0という言葉は十数年前に流行ったが、浄土真宗は「民衆仏教2.0」と捉えた方が分かりやすいだろう。

『世界をひとりで歩いてみた』

眞鍋かをり『世界をひとりで歩いてみた:女30にして旅に目覚める』(祥伝社 2013)を読む。
タレントの真鍋かをりさんがひとりで訪れたパリ、ベトナム、ギリシャ、トルコ、ロサンゼルスでの旅日記である。iPhoneのグーグルマップを片手に見知らぬ町をスタスタと歩いたり、海外に居ながらツイッターでフォロワーのファンからアドバイスを貰ったりと、「元祖ブログの女王」の異名に相応しいIT活用能力である。
また、トルコの地下宮殿の風景をドラクエや「ゼルダの伝説」のダンジョンになぞらえたりするところも面白かった。最近はテレビ番組で見かける機会は少ないが、ここ1番の勝負笑顔は可愛らしい。

『AKIRA』

大友克洋『AKIRA』(講談社 1993)全6巻を一気に読破する。
ぐだぐだとあらすじを述べるのは不要だろう。
映画作成のため長期休載を経たので、前半と後半の繋がりに疑問を感じる場面があったり、特に後半は様々な思惑や勢力が入り乱れ、話がややこしくなったりするが、そうした疑問や前半に張られた伏線が圧倒的なアキラくんのパワーで気持ちいいほどに薙ぎ倒されていく。