日別アーカイブ: 2017年9月10日

『戦後日本の保守政治』

内田健三『戦後日本の保守政治』(岩波新書 1969)をぱらぱらと読み返してみた。
55年体制構築前後の自民党政治が丁寧にまとめられている。大学時代に読み通した本であり、先ほど読んだ全学連と真逆の側の話なのだが、時代が同じだったので手にとってみた。学生が真摯に直向に佐世保や羽田、王子などにおいて、国民の支持を受けながら闘争をつづけてきた中で、自民党は国民の批判の矛先が集中しないようにうまく(いやらしく)立ち回ってきた。

保守勢力は、かなり巧妙にこれらの危機を切り抜け、国民大衆の批判と不満をそらし、それをバックとする革新勢力の攻勢をしりぞけてきたといえよう。保守支配の貫徹のためには、時の政権担当者の首をすげかえ、弾圧から宥和へ、暴走から迂回への転換もあえて辞さなかった。その典型的なケースとしては、吉田から鳩山へ、岸から池田への政権移動をあげることができる。保守政治は、革新勢力の突き上げに硬軟両様の構えで対応し、同時に保守勢力内のむきだしの反動をセーブするという両面作戦―つまり“綱渡り”の統治技術―を駆使してきたのである。

また、内田氏は次のようにも述べている。

 戦後保守のなかにたえず保守傍流、正統に対する異端ともいうべき系列があったことに注目する必要がある。それが保守合同以前の段階で、自由党内における鳩山―河野の党人派的系列、および自由党に対立する民主党系列に見いだされることもすでにこれまで折りにふれて言及してきた。

この保守傍流、異端の系列は、吉田自由党的本流に対抗する場合、大まかにいって、外交面では対米依存批判―自主独立外交、内政面では進歩主義的諸政策、体質的には党人派的感覚などをその特色としていた。とはいっても、この保守少数派はそれ自体錯雑した漠然たる集団であり、鋭い内部矛盾をもはらんでいた。

55年体制時には、自民党内部に「本流―傍流」のまっとうな対立軸があったが、「自由民主」党から「民主」党部分が抜けて、「自由」党部分の「本流気取り」だけしかいなくなってしまったのだろうか。また、旧民主党の現民進党前原代表のグループが保守傍流に位置づけられるのだろうが、本流と傍流の間に必要な転換がない。内田氏は保守傍流について「それ自体錯雑した漠然たる集団であり、鋭い内部矛盾をもはらんで」いると述べるが、この指摘は現在においても有効である。

『ゼンガクレン』

猪野健治『ゼンガクレン:革命に賭ける青春』(双葉社 1968)をパラパラと読む。
古本屋の800円の値札が付いているが、どこで手にいれた本なのかは覚えていない。
1950年代前半の山村工作隊の失敗、六全協以後のブントの分裂、日米安保闘争、革共同の分裂、三派全学連の盛り上がりまでが、歴史の教科書のように分かりやすくまとめられている。サングラスを外した黒田寛一氏の写真も掲載されておりビックリした。wikipediaによるとクロカン氏は2006年6月、埼玉県春日部市の病院にて肝不全のため死去されているとのこと。

最後は高校生の学生運動に火がつき始めたというところで締めくくられている。タイトルにもある通り、全学連のプロパガンダ的な性格を帯びており、1968年という時代を感じる作品であった。

「それぞれの願望」

本日の東京新聞朝刊に、哲学者内山節氏のコラムが掲載されていた。
ごくごく当たり前のことしか書いてないのだが、日米軍事演習やイージス艦による迎撃システムなどの話ばかりを耳にする現在、新鮮な話のように感じる。それほど日本の政治や外交が流されているという証拠であろう。

 私は北朝鮮の一番の対応策は、無視することだと思っている。軍事的威嚇に対して、軍事的威嚇をもって対応すれば、戦争の危機を高めるだけでなく、相手の軍事力に一定の効果があることを、認めることになってしまう。そんなことより、原爆やミサイルを装備しても、何の成果もないということを教える努力の方が重要なのである。

それは、長期にわたる経済制裁などをつづけながら、無視された国として扱うということである。軍事力を強化してもの成果も上がらないという現実をつくりだす方が、北朝鮮の体制の危機を高めることになるだろう。

もちろん日本には拉致問題を抱えてはいるが、いまの北朝鮮にそれを解決する意志がない以上、そういうやり方が自分たちを孤立させ、危機に追い込んでいくのだということを、徹底して知らせるほかない。

軍事力に対して軍事力で対決したりもしない。さりとて実効性のある対話もしない。もちろんつねに情報を収集し、万が一にも攻撃されたときの対応方法をもつことは必要だろうが、徹底して無視するのが一番いい。