本棚を整理しようと、古めかしい本に目を通してみた。
一冊めは、石堂清倫『現代変革の理論:叢書 戦後資本主義の分析』(青木書店 1962)である。
金沢の第四高校時代に中野重治と出会い、東京帝国大学時代に学生運動団体の新人会で共に活動した人物である。
学生時代に卒論をまとめる際に、インタビューしてみてはと声をかけられたことがあり連絡を取ったのかどうか記憶が定かではないが。確か体調不良ということで沙汰止みとなってしまった。
ソ連共産党第20回大会の席上で、フルシチョフがスターリンを批判したことを受け、東ヨーロッパやアフリカ、アジアなどの国が、様々場面で新しい社会主義のあり方の模索を始めた背景を分析している。レーニンや帝国主義、コミンテルンなど歴史の解説書を読んでいるような内容であり、酔っ払った頭にはほとんど内容が入ってこなかった。
もう一冊めは、中島誠『戦後労働運動への逆照射』(農山漁村文化協会 1985)である。
国労や総評の活動を総括し、かなり辛らつな批判を加えている。
中島氏は「あとがき」の中で次のように述べる。
労組とは戦後民主主義が生んだものであるが、40年近く経って、当の民主主義によって崩壊した、というやや皮肉で悲しいものである。
戦後の民主主義は、70年代以後の過剰生産経済不況を招来したとともに、その不況に、生かされも殺されもせぬ程度の生活の豊かさを生み出した。このように中途半端な生活の向上と、生産の飛躍的向上の落差は、日本を経済大国というよりも輸出大国へと仕上げさせた。
輸出大国ということは、カネが万事を解決するという国家の社会である。戦後の民主主義は、生活の中身を腐食させ、主権在民の生活活力が、これ以上利用価値なしとみるや、国家は、民主主義そのものの無効性を宣言し始めた。戦後民主主義が、アメリカのニューディールとイギリスの建て前国会主義を見本にしたことは誰でも知っていることだが、その中へ技術論が参入するや、労働組合が真っ先に技術革新のベースに巻き込まれてしまった。行革とは資本と国家による一種の技術革新といえる。
国家の意志と資本の戦略とが、日本の場合アメリカのように乖離し切れていない。多国籍企業や国際金融への参入に、まだまだ日本の育成の
70年代末からの不況対策と労働運動対策とは、政と使