日別アーカイブ: 2017年9月7日

『十八歳・等身大のフィロソフィー』

石塚正英編『十八歳・等身大のフィロソフィー』(理想社 1997)をぱらぱらと読む。
編者が当時教鞭をとっていた河合塾での「小論文」講座で、予備校生が書いた「小論文」150余点が収録されている。
浪人という高校でも大学でもない中途半端な時間や来年以降の身の振り方すら分からない不安、勉強しなくてはという強迫観念に追われるストレスなどが綴られる。また、そうした浪人だからこそ見えるような社会への不満や、実体験として感じる処世の難しさが1000字程度でまとめられている。起承転結の4段落構成を基本としており、どの作品も転句が読者の心に残るようなエッセー仕立てとなっている。なるほどと思った作品を一つ紹介したい

 女は謎だ、とある男が私に言ったことがある。女は怖い、ずるい、よくわからない、彼の言葉は私に向けられながらも「女」に対しての男の実感のこもったつぶやきであった。女のハンドバッグと聞いて、まず思い浮かぶのはこのエピソードだ私が思うに、男が女を謎だと思うならば、女の常々持ち歩くハンドバッグをその女の象徴として、男は謎に思うのかもしれない。バッグの底にその女の秘密がひそんでいると感じるのは、見る者にとって謎めいた女のバッグこそが女のものなのであろう。その女の秘密が、その女の持つハンドバッグに重なり、のぞいてみたい衝動を起こさせるのではないか。

人間、男と女しかいないのだから、男が謎だと感じるのは当然といえば当然だ。しかし、女の私からしても確かに女は謎である。何より不思議なのは、秘密を持つことを、女は武器に出来るということである。女の謎は男にとって、魅力に一つであるらしい。反論もあるかもしれないが、そう言う男もいるのは確かである。

近年中身が見える透明なバッグが出回った。それでも、バッグの中のポーチまで透明なものを持つ女性は見ない。また、半透明なバッグも人気が出た。見えるようでいて、全て見えるわけではないという、考えてみれば謎めいた半透明のバッグは私もほしいと思っていた。自分のバッグの中身の全て見えてしまうのは気はずかしい。まるで自分を見透かされているような気分になるからである。街でバッグを買いに来ていた女性が「中身が見えるバッグってなんだかイヤ、苦手」と話していたのを耳にしたことがある。つまり女のバッグはそれを持つ女なのであり、女はそこに秘密を込めようとする。全て中身が見えてしまってはいけない。見えないことが、謎を残すことになり、その女への好奇心につながるであろうことを、女は意識的にわかっているのだ。

女は自分の謎−秘密をバッグに込めること、またそのバッグを持ち歩くことで女としての自分を男へと謎めかせている。バッグの中身が見えない限り、男にとって女は謎なのかもしれない。

「原発本、薄れる興味 専用スペース設ける古書店が風化懸念」

本日の東京新聞夕刊に、東京の早稲田通りにある「虹書店」の記事が掲載されていた。
先日、反天皇制運動連絡会の天野恵一氏がカウンターに座っていた「寅書房」のことを10数年ぶりに思い出したばかりだったので目を引いた。

私の学生時代には、高田馬場までの商店街に、革新系の書籍を専門に扱っている古本屋として、谷書房、寅書房、虹書店の3店があった。確か革マル派と解放派とベ平連系の3派がそれぞれ贔屓にしている本屋だったと聞いた記憶があるが。。。

学生時代に溜め込んだ本がまだ本棚で埃をかぶっているので、どんどん読み直して(捨てて!?)いきたい。

『ミャンマー経済で儲ける5つの真実』

小原祥嵩『ミャンマー経済で儲ける5つの真実:市場・資源・人材』(幻冬舎新書 2013)を読む。
ベトナムで日本企業や日本人の東南アジア、特にメコン地域への進出時の事業計画立案や市場調査を手がける著者が、「アジアのラストフロンティア」とも言われるミャンマーでの工場建設や市場の魅力について語る。

ミャンマーというと仏教国で穏やかな国というイメージがあったが、ここ数日新聞やテレビでも、ミャンマー軍によるイスラム教徒少数民族ロヒンギャへの弾圧が激化し、隣国へのバングラデシュへの脱出が報じられている。

 軍事政権の功罪の例として国内の民族問題を挙げる方がいます。ミャンマー国内には135もの民族が住んでいます。そのうちのいくつかの民族はミャンマーの独立(1948)以降、自治権の獲得や分離独立を時に武力を交えながら叫び続けていました。この民族自決の動きを時には武力で、あるいは停戦合意という形で封じ込め、国家としてまとめることができたのは軍事政権の持つ「力」に他ならないと言うのです。新政権発足後、センセーショナルに取り沙汰されるイスラム教徒と仏教徒の衝突も多数の死者を出すまでに発展してしまっているのは抑止力となっていた軍事政権によるタガが外れたためだとも言えます。

また、ミャンマー軍事政権の対外的なアピール下手も、軍政=悪の図式を助長したという指摘もあります。非民主的と言わしめておきながらも、軍政は釈明することなく、沈黙を守り続けてきたのです。

そうした軍政の外交姿勢と、軍政を非難し民主化を叫ぶスー・チーさんの存在も相まって、軍政=悪という構図はメディアを通じて世界中に広がっていきました。

特に米欧による経済制裁がその決定打でした。

軍事政権から民主政権への移行も、市場の開拓も欧米や中国の意向が色濃く反映されている。少数民族の弾圧もそうした「民主化」と軌を一にする問題と考えてよい。今後もミャンマーの政治・経済を注視していきたい。