日別アーカイブ: 2016年8月17日

「ゼロになる瞬間」

本日の東京新聞朝刊の論説委員のコラムが印象に残った。
パワーリフティングに比べて、ウェイトリフティングは技術が占める部分が多いと聞いたことがあるが、テクニックだけでなく、武道に近い「間合い」や「虚実」があるという。鉄の塊であるバーベルですら「柔能く剛を制す」攻略法があるのだから、人間を相手にする武道ならばなおさらであろう。

 リオデジャネイロ五輪の重量挙げ女子48キロ級で銅メダルを獲得した三宅宏実選手(30)の父でコーチの義行さん(70)と、ゴルフをご一緒させていただいたことがある。その時、愚問とは思いながらも尋ねてしまった。
 「自分の体重の二倍以上もあるものを、なぜ持ち上げられるのですか?」
 おそらくは幾十度となく聞かれてきたこと。だが義行さんは温和な表情を崩すことなく説明してくれた。
 「大切なのはタイミング。バーベルを持ち上げる時、バーがしなって一瞬だけ重さがゼロになる瞬間がある。その時に一気に引き上げるのです」。この言葉に、重量挙げの奥深さを垣間見た気がした。
 一九六八年メキシコ五輪で銅メダルの義行さんは、東京とメキシコの両五輪で金メダルだった六歳上の兄・義信さんにどうしても勝つことができなかった。娘が重量挙げに挑戦したいと打ち明けたのは中学三年の時。するとゴルフざんまいだった生活を娘の指導に専念することに変え、ゼロになる瞬間を二人で追い求め続けてロンドン(銀メダル)とリオで五輪メダルをつかみ取った。
 兄に勝てなかった人生の忘れ物のような思いを娘に託し、成就させた義行さん。ラウンドを終えて「これから娘をコーチするので」と18番ホールから一直線に駐車場に向かった時の後ろ姿が忘れられない。 (鈴木遍理)

「奥底のうごめく闇」

本日の東京新聞夕刊の匿名コラム「大波小波」の文章が印象に残った。
オリンピックやスマップの解散報道によってかき消されてしまった感もあるが、戦後最悪とも言われる相模原障害者施設事件の犯人の奇行や手口の残忍さなどの「表象」だけを批判して終わるのではなく、その背景にある社会的「構造」を捉えるべきだという内容である。
短い文章であるが、的を射た力のある文章である。
勉強のつもりで引用してみたい。

 (連続殺人犯のジョン・ウェイン・ゲイシーが刑務所で描いた絵に少数ながら熱狂的なファンがいるという話に続いて)
 おそらく、相模原市の障害者施設で四十五人を殺傷した犯人にもファンが現れるだろう。今回は思想的な背景があるだけに悪しき影響が長引くという危険がある。
 障害者は「人間ではない」「不幸をつくることしかできない」という優生思想に基づき凶行に及んだとされる。残念ながら自己責任論が広がり、経済効率を優先する現代の日本には、事件の前からこうした差別主義者と同じ思想を持つ人間が少なからず存在していた。そして障害者への差別意識は、生活保護や在日の人へのバッシングとも深いところで繋がっているのだ。
 被害者、遺族の無念と怒りに応えるためにも、社会の奥底にうごめく闇とどのように向き合い、いかに戦うべきかを真剣に考える必要がある。