月別アーカイブ: 2015年3月

「アクション仮面を裏切らないゾ」

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下の子がぐずってうるさいので、ハードディスクに録画してあった『クレヨンしんちゃん』(テレビ朝日 2012年6月15日放映)を一緒に観た。
新聞を読みながらだったので話の中身を追っていなかったが、ふと画面に目をやると、居酒屋のカウンターで「おパンツってさあ、男のマロンを守っているんだよね」というしんちゃんの呟きに対して、居酒屋のオヤジが「マロン? それを言うなら、ロマンだろ」と切り返す場面があった。
いつも通りの言い間違いのやりとりだが、「草食系男子」「絶食系男子」といった言葉が溢れる現在の日本社会の状況を考えると、5歳児の言葉にしては妙に含蓄のある言葉であった。

そういえば、1年ほど前の「文化系トークラジオLife」で、「クレヨンしんちゃん」の家族モデルにまつわる話があった。1990年代前半の放映開始時、しんちゃんの野原一家は、日本のどこでも点在するごく平凡な家族という設定であった。しかし、20年経った現代日本で、野原一家は平均的な日本人にとって憧れの家族モデルとなっている。しんちゃんの父である野原ひろしは、30代にして郊外に一戸建ての持ち家があり、専業主婦と子ども二人を抱え、マイカーがあり、休日には家族で触れ合うという生活を送っている。放映開始時には当たり前だと思っていた生活が、現代では憧れの成功モデルになっているのである。僅か20年で、日本の平均的な家族像が、クレヨンしんちゃんの野原一家のレベルを大きく下回ってしまったことになる。
アニメと現代社会の比較だったので、耳に残る話であった。

『虹色のトロツキー』

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安彦良和『虹色のトロツキー』全8巻(潮出版 1997)を読む。
あまり漫画を読み慣れていないのだが、実在の人物も登場するので、話の背景は掴みやすかった。
日本人とモンゴル人の間に生まれ、満州事変の余波により父を殺され、記憶を失ったウムボルトが、五族協和を目指す満州の建国大学に入るというところから話は始まる。やがて彼は抗日聯軍の戦士となったり、関東軍の指示で満州軍の少尉となったりと当地の複雑な利害関係に翻弄され、最後は満州国内のモンゴル人を率いて、ロシアをバックにしたモンゴル人民共和國軍との壮絶な戦いに身を梃する数奇な運命をたどる。
フィクションではあるが、単純には語れない戦争の現実の一端を垣間見ることができた。

石原莞爾というと、「世界最終戦争」というトンデモない発想をする頭の悪い軍人だと思っていたが、この『虹色のトロツキー』では、一歩高みに立って政界情勢を見渡すことができる人物として描かれている。
また、当時の満州国が内モンゴル自治区やロシア領土内のユダヤ自治州と国境を接しており、政治的な駆け引きが跳梁跋扈したという歴史的事実は興味深かった。

安彦良和氏の作品は、中学校時代に『アリオン』や、『ヴィナス戦記』のアニメ映画と漫画を読んで以来である。『アリオン』や『ヴィナス〜』も、単純ではない人間関係と、ハリウッド映画とは異なるすっきりしない終わり方が印象的であった。

『日本少国民文庫 世界名作選〈1〉』

山本有三編『日本少國民文庫 世界名作選〈1〉』(新潮社 1988)を手に取る。
1929年(昭和11年)に「日本小國民文庫」として、山本有三のもとで企画・刊行された本の復刊である。
レッシングやエーリヒ・ケストナーという作家の作品を中心に30作品ほどが収録されている。
全部読むのは手間だったので、トルストイの「人は何で生きるか」だけを読む。
貧困と信仰をテーマにした読みやすい内容だった。

『散歩(日本の名随筆)』

川本三郎編『散歩(日本の名随筆)』(作品社 1993)をパラパラと読む。
谷川俊太郎や佐多稲子、稲垣足穂、池波正太郎などの名だたる名文家の散歩に纏わる随筆が収められたアンソロジーである。

散歩が唯一の趣味であり生きがいでもあった浪人生時代に神保町で買ったものだと記憶している。
当時は、友人もほとんどいなかったので、予備校のあった御茶ノ水を起点に、新宿や渋谷、神宮、皇居周辺をひたすら歩き回っていた。参考書の詰まったリュックを背負って、缶コーヒー片手に音楽を聴きながら、町の様子や人々の暮らしに思いを馳せていた。遠い昔の苦い記憶だが、現在の自分を支えている大切な時期でもあった。

散歩文化の開拓者とも称される永井荷風は「葛飾土産」の中で次のように述べる

 市川の町に来てから折々の散歩に、わたくしは図らず江戸川の水が国府台の麓の水門から導かれて、深く町中に流込んでゐるのを見た。それ以来、この流のいづこを過ぎて、いづこに行くものか、その道筋を見きはめた心になつてゐた。
 これは子供の時から覚え初めた奇癖である。何処といふことなく、道を歩いて不図小流れに会へば、何のわけとも知らずその源委がたづねて見たくなるのだ。来年は七十だといふのにこの癖はまだ消え去らず、事に会へば忽ち再発するらしい。雀百まで踊るとかいふ諺も思合されて笑ふべきかぎりである。

永井荷風の上記の言葉は大変共感できる。私も小学校の頃から、登校途中のこの道をまっすぐ行ったら富士山へ到達するのだろうかと空想していた。今も地図帳を片手に海の先の国に想いを馳せている。

また、フリーライターの大竹昭子さんは、現在は完全に暗渠となってしまった渋谷川を辿り、僅かな高低差や、かつての川のほとりであった証拠の記念碑を発見する。コラムの最後に次のように書いている。来月から再レギュラー化が決定している、街歩きの達人タモリさんが“ブラブラ”歩きながら知られざる街の歴史や人々の暮らしに迫るNHKの番組「ブラタモリ」と同じ視点が興味をひいた。

 確かに東京からたくさんの川が消えた。けれども完全に消滅したのではなく、下水道という地底の川になったり、道路や遊歩道という地上の川になったりして、今も足元を流れつづけている。渋谷の抜け道を探そうとしてこの事実に思い当たったとき、東京の風景が変わった。坂の下に、台地の窪みに、無数の幻の川が流れはじめたのである。街を歩きながら川の痕跡を探し、蛇行の様子をたどり、橋の名残を見つける。
 もうひとつの東京の地図が描かれつつある。

『詩のこころを読む』

茨木のり子『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書 1979)をパラパラと読む。
谷川俊太郎や吉野弘、川崎洋、石垣りんなどの有名な詩人の作品を取り上げ、丁寧に解説を加えている。
平易な言葉で書かれているが、大学の授業でも十分に使えそうな内容となっている。
その中で、大岡信の「地名論」の詩と、その解説が興味を引いた。
ちょうど昨日、地名についての本を読んだばかりだったためか、茨木さんの解説がスーッと胸の奥まで染み込んできた。
後で使いやすいように引用しておきたい。

水道管はうたえよ
お茶の水は流れて
鵠沼に溜り
荻窪に落ち
奥入瀬で輝け
サッポロ
バルパライソ
トンブクトゥーは
耳の中で
雨垂れのように延びつづけよ
奇体にも懐かしい名前をもった
すべての土地の精霊よ
時間の列柱となって
おれを包んでくれ
おお 見知らぬ土地を限りなく
数えあげることは
どうして人をこのように
音楽の房でいっぱいにするのか
燃えあがるカーテンの上で
煙が風に
形をあたえるように
名前は土地に
波動をあたえる
土地の名前はたぶん
光でできている
外国なまりがベニスといえば
しらみの混じったベッドの上で
暗い水が囁くだけだが
おお ヴェネーツィア
故郷を離れた赤毛の娘が
叫べば みよ
広場の石に光が溢れ
風は鳩を受胎する
おお
それみよ
瀬田の唐橋
雪駄のからかさ
東京は
いつも
曇り
         ー詩集『わが夜のいきものたち』

(中略)
 おもしろいのは、この詩が或る予言的な役割を果たしたことでした。1976年頃に書かれたので、今から10年以上も前なのですが、ここ10年ばかりの間に、各地でむやみやたらの地名変更が行政的に進められました。アッと気づいた時には、紺屋町、鍛冶町、青葉台、木挽町、長者町、角筈、雑賀町、山寺道、狸穴、古くから由緒ある地名が、本町、緑町、中央通り、大通りなどという、おもしろくもない町名に変えられてしまっていたのです。1962(昭和37)年に「住居表示に関する法律」ができたためですが、町役場や市役所は、それでいったい、どれくらい便利さを得たのでしょうか。
 コンピューターに覚えさせる便利さとはうらはらに、私たちは大事なものを失ってしまいました。祖先がきりひらき住みなした土地に、後からやってきて住まわせてもらうのですから、敬意を表して、どの時代の人たちも古くからの地名を大切に守り、いじりまわすような馬鹿なことはしませんでした。だから今まで残ってきたのに、ここへきて急に思いあがった愚行を全国的にやってしまいました。
 古い地名と新しい地名をくらべると、昔の人がどれほど粋だったか、今の人がどれほど言語感覚も鈍(どん)かがわかり、驚かされます。それに、地名は歴史だけでなく地形を表現していることも多く、後世の研究にまつ、といったヒントをたくさん隠してもいます。長い歳月に文字は変わっても、地名の音だけは伝えてゆくという工夫も代々の人たちが残してくれていたのに。
 これではならじと1978年に「地名を守る会」というのが出来、全国的な規模で反対し見張るという運動が展開されることになりました。山形県米沢市のように、さらに踏み込んで、この改悪をくつがえし、すべて旧町名を復活させたところもあります。
 この会ができるのに先がけて10年も前に「地名論」が書かれていたのでした。

奇体にも懐かしい名前をもった
すべての土地の精霊よ

………………………………………………

名前は土地に
波動をあたえる
土地の名前はたぶん
光でできている

 これらの詩行は、日本ばかりではなく、世界のすべての地名に対する愛情と讃嘆に満ち、なにひとつ説教はしないで、その大切さ、有難さを私たちに手渡してくれています。「地名論」と「地名を守る会」に直接のつながりはないのに、どこかでつながっているようで、これこそ社会現象のシュールレアリズムというべきでしょう。