『散歩(日本の名随筆)』

川本三郎編『散歩(日本の名随筆)』(作品社 1993)をパラパラと読む。
谷川俊太郎や佐多稲子、稲垣足穂、池波正太郎などの名だたる名文家の散歩に纏わる随筆が収められたアンソロジーである。

散歩が唯一の趣味であり生きがいでもあった浪人生時代に神保町で買ったものだと記憶している。
当時は、友人もほとんどいなかったので、予備校のあった御茶ノ水を起点に、新宿や渋谷、神宮、皇居周辺をひたすら歩き回っていた。参考書の詰まったリュックを背負って、缶コーヒー片手に音楽を聴きながら、町の様子や人々の暮らしに思いを馳せていた。遠い昔の苦い記憶だが、現在の自分を支えている大切な時期でもあった。

散歩文化の開拓者とも称される永井荷風は「葛飾土産」の中で次のように述べる

 市川の町に来てから折々の散歩に、わたくしは図らず江戸川の水が国府台の麓の水門から導かれて、深く町中に流込んでゐるのを見た。それ以来、この流のいづこを過ぎて、いづこに行くものか、その道筋を見きはめた心になつてゐた。
 これは子供の時から覚え初めた奇癖である。何処といふことなく、道を歩いて不図小流れに会へば、何のわけとも知らずその源委がたづねて見たくなるのだ。来年は七十だといふのにこの癖はまだ消え去らず、事に会へば忽ち再発するらしい。雀百まで踊るとかいふ諺も思合されて笑ふべきかぎりである。

永井荷風の上記の言葉は大変共感できる。私も小学校の頃から、登校途中のこの道をまっすぐ行ったら富士山へ到達するのだろうかと空想していた。今も地図帳を片手に海の先の国に想いを馳せている。

また、フリーライターの大竹昭子さんは、現在は完全に暗渠となってしまった渋谷川を辿り、僅かな高低差や、かつての川のほとりであった証拠の記念碑を発見する。コラムの最後に次のように書いている。来月から再レギュラー化が決定している、街歩きの達人タモリさんが“ブラブラ”歩きながら知られざる街の歴史や人々の暮らしに迫るNHKの番組「ブラタモリ」と同じ視点が興味をひいた。

 確かに東京からたくさんの川が消えた。けれども完全に消滅したのではなく、下水道という地底の川になったり、道路や遊歩道という地上の川になったりして、今も足元を流れつづけている。渋谷の抜け道を探そうとしてこの事実に思い当たったとき、東京の風景が変わった。坂の下に、台地の窪みに、無数の幻の川が流れはじめたのである。街を歩きながら川の痕跡を探し、蛇行の様子をたどり、橋の名残を見つける。
 もうひとつの東京の地図が描かれつつある。

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