月別アーカイブ: 2015年3月

週のはじめに考える 大学は何のためにある

本日の東京新聞朝刊の社説から。
「大学本来の姿」「かくあるべき研究」といったことあるごとに繰り返し語られてきたレトロな大学論となっている。戦前の帝国大学は「学術技芸ヲ教授シ及其蘊奥ヲ攻究スルヲ以テ目的トス」と定められたが、エリート意識の裏返しのような普遍的大学論は少し飽きが来ている。大学大衆化がこれだけ進んでいるのだから、昔ながらの大学像を振りかざして現行の大学のあり方を批判するのではなく、大学そのもののあり方を壊していくような方向もどんどん検討されてよい。最近はそのように考えるようになった。

 卒業生を送り、四月には新入生を迎える大学に厳しい問いが突きつけられています。「大学は何のために存在するのか」。そこに生き残りもかかります。
 一八七七年、日本の近代国家建設の任務を背負わされて東京大学が設立されてから百四十年。大学は「エリート教育」から「ユニバーサル教育」と呼ばれる時代へと大きく変わりました。同年齢の大学・短大への進学率が50%を超えて、だれでもが大学へアクセスする時代という意味合いです。

◆ユニバーサル教育の時代
 日本の四年制大学は、国立八十六校、公立八十六校、私立六百三校の計七百七十五校、文部科学省の二〇一三年度の調査では四年制大学に二百八十六万九千人、短大、専門学校、高等専門学校を加えると高等教育機関の学生は三百六十五万五千にのぼりました。教員は十九万一千人です。
 大学大衆化時代だからといっておざなりな教育は許されません。少子化の時代、大学に特色や魅力がなければ学生は集まらず、私立大学は倒産の危機に瀕します。英文法be動詞活用や分数計算、化学の元素記号など中学程度の基礎的学力を身に付けさせるリメディアル教育も時には必要になります。創意工夫がなければ大学が淘汰される時代になりました。
 国立大学が法人化されたのは〇四年でした。大学自主運営の理想は遠く、着実に進められてきたのが国立大学への運営費交付金削減と文科省からの天下り。一五年度予算案の運営費交付金は一兆九百四十五億円ですが、毎年1%、十年前と比べて千三百億円もの削減となっています。
 容赦ない財政削減とともに安倍政権が進めているのは大学の選別と序列化、組織の統廃合にみえます。競争原理も導入されます。

◆進む選別と序列化
 昨年九月の「スーパーグローバル大学」の選定には、百四校が応募、その結果、世界大学ランキング百位以内を目指す「トップ型」に東大、京大、名大、早慶など十三校、「グローバルけん引型」に二十四校が選ばれました。
 トップ型には年最高四億二千万円の補助金が十年、けん引型には一億七千万円の支給。補助金は海外大学との連携、外国人教員の人件費、外国語授業などに充てられますが、選定にもれた他大学は放置されたままなのでしょうか。
 昨年八月の文科省の通達も国立大学の文科系学部関係者を震撼させました。教員養成系、人文社会科学系学部に「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換」を促していたからです。
 「日本には文科系学部が多すぎる」「シェークスピア研究より英会話」は産業界からの強い声でした。自前で人材を育てる余力を失ってしまった企業が大学に求めたのは仕事に役立つ実学教育や即戦力人材の養成です。文科省通達は財界の要請を受け入れたもの。「国立大学から文系学部が消えるのか」の疑心暗鬼が広がりました。
 大学は何のためにあるのか。時代や社会の要請に応えるのも大切な役目の一つでしょう。大学大衆化時代にあっては学生が就職できるようにビジネス英語や簿記、会計を身に付けさせるべきかもしれません。しかし、大学はやはり「学術研究と教育の場」であるべきです。人知れずの黙々の研究がノーベル賞になったり、実生活と無縁にみえる数学や哲学、歴史研究が長い目では大いに役立つとの真理の逆説を知らせたり。学生には自ら課題をみつけ考えられるようにする。それが最重要の任務にも思えるのです。
 和歌山大学で六年間学長を務めた山本健慈学長ら国立六大学の学長が文科省で記者会見して運営費交付金の増額を訴えました。和歌山大学は地方創生の核ともいえる観光学部をつくり、学生を育て直し、生涯応援することを約束して社会に宣言、タイや地域の過疎地派遣で学生が活動的に変わることを目撃しました。「そんな努力にも限界がある」が学長たちの訴えでした。
 苦しくとも教育への投資が国を興します。いま、大切なのはその「米百俵」の精神。地道な努力に光を当てなければ。

◆訓練で自己を確立せよ
 学生は大学で何をすべきか。「学問のすゝめ」の福沢諭吉も「君たちはどう生きるか」の吉野源三郎も「二十一世紀に生きる君たちへ」の司馬遼太郎も、先人たちが語るのは同じにみえます。
 「君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。-自分に厳しく、相手にはやさしく。という自己を。そして、すなおでかしこい自己を」は司馬遼太郎です。
 「いたわり」「他人の痛みを感じること」「やさしさ」は訓練で身に付けよと言っています。

『燃える秋』

五木寛之『燃える秋』(角川書店 1978)を読む。
おそらく高校時代に一度は読んだのであろうが、ほとんど記憶に残っていなかった。20代後半の男女のすれ違いなど、当時は興味もなかったのであろう。
いつものように、帝国書院の地図帳片手にイランの都市や山脈の位置関係を頭にいれながら、旅行気分を味わうことができた。
テヘランが標高1000メートルを超える高地にある首都だというのは初めて知った。乾燥と寒気の両方があるからペルシャ絨毯が生まれたのであろうか。

主人公の亜希はただペルシャ絨毯を見るという目的だけで会社を辞め、恋人と別れ、そして北京からテヘランに向かう飛行機の中で、ため息交じりに次のように考える。

 機密窓の外の濃紺な空と、強い光を放つ星の隊列を彼女はみつめた。いま、この翼の下に無限の時間と人間たちの営みを呑み込んだ暗黒の大陸がある。そこにあるのは黄土の大陸と流砂の荒野、そして底知れぬ峡谷と削ぎ立った山塊だ。何年も何年もかけてその気の遠くなるような業苦の道を越えた隊商の人々。専制君主たちに駆り出され、流砂のような長征の果てに消えた男たち。かつてザイデン・シュトラーセンという美しい名で呼ばれた地獄のような歴史の道をラクダの背で運ばれた様々な品物。あの祗園祭の宵山の夜、山鉾に飾られたペルシャ絨毯もまたそこを通ってたどりついたのだ。

そんな亜希の様子を見ていた隣席の男性は次のような言葉をかける。

「天山山脈、崑崙山脈、ヒマラヤ、タクラマカン砂漠、インダス河、チンギス・カンのモンゴル大帝国、そしてアレクサンダー大王の遠征、スタインやヘディンの探検、絹やガラスや、楽器や仏典の伝来−−。つまり人間の歴史の中でもっとも壮大なドラマが、この私たちがいま飛んでいる空の下でくりひろげられたわけですね。そこを私たちは眠ったまま、または食事を楽しみながら、八時間で飛ぶ。なにか許されないことをしているような、そんなそらおそろしい気持がしませんか。私は何度ここを飛んでも、その度にぞっとするような感じにおそわれるんですがね」

この男性のセリフが妙に印象に残った。人々が営営として築いてきたヨーロッパ文化とアジア文化を結ぶシルクロードの上空を、飛行機はただ目的地に向かって飛んでいく。現在では航空機だけでなく、インターネットもそうした文脈を無視した一員になるのであろう。航空機やインターネットでは分からない、亜希や男性のセリフの背景にある「距離感」というものを大切にしていきたい。

眠気で頭が働いていないせいか、いつも以上にあっちもこっちも文章がおかしくなってしまった。。。
さあ、寝よう。

メロンソーダ

2015-03-21 16.40.08

夕方になって、真ん中と下の子を連れて近隣の道の駅へ出掛けた。
広場で追いかけっこや戦いごっこをやったり、トランポリンをしたりして時間を過ごした。
帰りがけに喉が渇いたというので、併設された食堂で「メロンソーダ」を飲んだ。
コンビニにあるようなソーダ味のアイスの機械がぐるぐると動いていたので、すっかりメロン味の方を注文したつもりが、運ばれてきたのは緑色の炭酸ジュースであった。
子どもたちは受け付けなかったので、久しぶりにコーラ以外の炭酸を口にしたが、腹の中に炭酸ガスが溜まっていくような飲み口にいささか食傷気味であった。

『異端の系譜』

中西茂『異端の系譜:慶応義塾大学湘南藤沢キャンパス』(中公新書ラクレ 2010)を読む。
1990年に神奈川県藤沢市遠藤に開学し、総合政策学部と環境情報学部の2学部を擁する慶応義塾大学湘南藤沢キャンパスの20年の歴史と展望がまとめられている。
三田や日吉とは異なる微妙な立ち位置について触れながらも、慶応大学のポリシーともなっている「半学半教」を地でいく学習スタイルや、教職員の創意工夫、卒業生のバイタリティーなど、SFCの魅力をこれでもかとアピールする内容となっている。
既存の大学や学部に飽き足らない開設当初の教員や、キャンパス内の空き地で農園を作った学生、NPO法人や起業にどんどんチャレンジしていく卒業生など、タイトル通り「異端」な大学の人脈の「系譜」が紹介されている。インターネット研究の第一人者である村井純氏や、初代総合政策学部長となった加藤寛氏、『NPO法人カタリバ」を立ち上げた今村久美さんの活躍の様子やコメントを読んでいると、改めて大学という場の可能性について考えてしまう。
通信教育も終わってしまったので、次は何を学ぼうかと考えていたところだったので、数年後に想いを馳せながら読むことができた。

『斎王の葬列』

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内田康夫『斎王の葬列』(角川書店 1993)を読む。
奈良時代から南北朝時代まで続いた天皇に代わって伊勢神宮へ仕える斎王のならわしをモチーフにした推理小説である。
1993年に刊行された本で、ゴジラ松井の活躍や皇太子のご成婚パレードなど、今読むと時代を感じる作品ともなっている。
いつも通りの強引な展開であるが、国道1号線沿いにある滋賀県の土山町を舞台にしており、数年前にミラージュで走り抜けた記憶と合わせて楽しむことができた。