五木寛之『燃える秋』(角川書店 1978)を読む。
おそらく高校時代に一度は読んだのであろうが、ほとんど記憶に残っていなかった。20代後半の男女のすれ違いなど、当時は興味もなかったのであろう。
いつものように、帝国書院の地図帳片手にイランの都市や山脈の位置関係を頭にいれながら、旅行気分を味わうことができた。
テヘランが標高1000メートルを超える高地にある首都だというのは初めて知った。乾燥と寒気の両方があるからペルシャ絨毯が生まれたのであろうか。
主人公の亜希はただペルシャ絨毯を見るという目的だけで会社を辞め、恋人と別れ、そして北京からテヘランに向かう飛行機の中で、ため息交じりに次のように考える。
機密窓の外の濃紺な空と、強い光を放つ星の隊列を彼女はみつめた。いま、この翼の下に無限の時間と人間たちの営みを呑み込んだ暗黒の大陸がある。そこにあるのは黄土の大陸と流砂の荒野、そして底知れぬ峡谷と削ぎ立った山塊だ。何年も何年もかけてその気の遠くなるような業苦の道を越えた隊商の人々。専制君主たちに駆り出され、流砂のような長征の果てに消えた男たち。かつてザイデン・シュトラーセンという美しい名で呼ばれた地獄のような歴史の道をラクダの背で運ばれた様々な品物。あの祗園祭の宵山の夜、山鉾に飾られたペルシャ絨毯もまたそこを通ってたどりついたのだ。
そんな亜希の様子を見ていた隣席の男性は次のような言葉をかける。
「天山山脈、崑崙山脈、ヒマラヤ、タクラマカン砂漠、インダス河、チンギス・カンのモンゴル大帝国、そしてアレクサンダー大王の遠征、スタインやヘディンの探検、絹やガラスや、楽器や仏典の伝来−−。つまり人間の歴史の中でもっとも壮大なドラマが、この私たちがいま飛んでいる空の下でくりひろげられたわけですね。そこを私たちは眠ったまま、または食事を楽しみながら、八時間で飛ぶ。なにか許されないことをしているような、そんなそらおそろしい気持がしませんか。私は何度ここを飛んでも、その度にぞっとするような感じにおそわれるんですがね」
この男性のセリフが妙に印象に残った。人々が営営として築いてきたヨーロッパ文化とアジア文化を結ぶシルクロードの上空を、飛行機はただ目的地に向かって飛んでいく。現在では航空機だけでなく、インターネットもそうした文脈を無視した一員になるのであろう。航空機やインターネットでは分からない、亜希や男性のセリフの背景にある「距離感」というものを大切にしていきたい。
眠気で頭が働いていないせいか、いつも以上にあっちもこっちも文章がおかしくなってしまった。。。
さあ、寝よう。