月別アーカイブ: 2015年2月

経産省前テントひろばML

以下、メーリングリストより転載します。

テントひろばです。
予想通りとはいえ、国の意向100%の判決が出ました。
私たちの闘いの真価も問われます。
判決の様子を伝えるテント日誌と「声明」をお送りします。

テント日誌2月26日(木)
経産省前テントひろば1265日商業用原発停止529日
今日はいよいよ判決が下りる。
小雨の中少し嫌な気分で家を出た。
テントに着くともう何人もの人が集まっていて緊張した雰囲気。
いつもラフな格好のKさんが背広を来て再稼働反対の鉢巻をしていたのでびっくり!

着いたとき雨はさほどひどくなかったので椅子を出して傘をさして座りこむ。
そのうちに毎週木曜日に来てくださるO・Mさんも現れ一緒に判決を心配しながら座っていると雨がだんだん激しくなって来た。
12時近くから色んな人たちが続々と来てくれテント前はいっぱいになる。
スタッフの指示で経産省前に移動し抗議行動が始まった。
K・Mさんの司会で正清さんの挨拶で始まり福島から駆けつけてくださったMさ
ん、たんぽぽ舎の柳田さん、原発いらない福島の女たちのMさん
テントのOさんEさんなどの発言があり途中でYさんのリードで力強いシュプレヒコールを経産省に向けて発しました。
テントのOさんからは裁判の経過などが話された。
その後地裁前に移動したがあいにくの雨で傘が交錯して大変だった。

地裁前では司会のKさんから今日の予定や注意事項が話され、原発いらない福島の女たち2人、渕上さん、大口弁護士の発言
大口弁護士は20日に弁論再開の申し立てをしたが、地裁からは無礼にも返答がなく、返答しない事が食んだと言わぬばかりと怒っていた。
そして地裁に向けてのシュプレヒコールで傍聴券抽選に入った。

約350人の参加私は抽選にはずれ報告集会のため参議院会館に向かった。
報告集会は第2テントの女性たちがセッティングをし、
会場には今日のために作った「テント撤去を許さない」のバナーや「再稼働反
対」「撤去すべきは原発」の幟などが張り巡らされて皆の思いの深さを感 じた。
司会は第2テントのBさんそしてまず大口弁護士から裁判の結果についての報告があり、正清さん、渕上さん、泊まり番の乱さん、川内テントから駆けつけたEさん、福島からKさん、第2テントのHさん、たんぽぽ舎の柳田さん、K・Mさ ん、Tさん、
河合弁護士などの多くの発言があり最後に応援団からTさんから今後のことなどが話された。

河合弁護士はテントがなくなっても反原発運動は続く、裁判に負けても一喜一憂してはいけない。最終目的は日本から原発をなくし皆が安心して暮らせるようにすること。プラス思考で緩やかにめげずに戦いましょうと励ましてくれた。

集会の途中で法廷にもう残っている人は居ません。皆此処に来ていますというアナウンスがあったのに驚いた。
判決の後も法廷で座り込んでいて無理やり連れ出された人たちが居たのですね。
でも逮捕されなくて良かった。

会場は満員で立ち見(?)もでたほど、熱気のこもった時間でした。
詳細は三輪さんが撮影して下さったのでご覧下さい。(I・K)


声    明
経産省前テントひろば

 2月26日東京地裁では、テントを巡る第1審の判決が出された。その内容は、原告の請求提訴内容を全面的に認めるというものであった。①被告はテントを撤去し該土地を(国に)明け渡せ、②被告は損害賠償金(約2800万円)を払え、③以上の2つについて「仮執行宣言」(ただし、損害金に関する仮執行対象額は約1,100万円)」を付す、というものである。
 これは明らかに不当な判決であって、当然ながら我々は承服できない。この判決は司法の独立性をみずから踏みにじり、今の政府を支配下におく安倍内閣の意向に全面的に沿った、きわめて反動的なものである。
 この判決を書いた村上裁判長は、2011年の3・11東電福島第1原発の深刻きわまりのない未曽有の大事故とこの事故の責任について、そもそも被害者・国民の立場から真剣に考えたことがあるのか。同様にいまだに続く事故の継続(例えば手の打ちようがない汚染水の問題)について自らの問題として一時でも考えたことがあるのか。そして何よりもこの事故で甚大なる被害を受け、今も受けつつある福島の住民の痛みについてわずかにでも心をはせたことがあるのか。村上裁判長は司法の正義を国ないしは安陪内閣に売り渡し、その見返りとして結局のところ、つまらない自らの出世の道を選択しただけではないのか。
 だが、いかなる判決であろうが、われわれは法律的に可能な対応(控訴、執行停止の申立等)を含めて、断固として闘いを継続する。われわれには恐れるものは何もない。われわれが、例えとるに足らない微小なものであっても、無力ではないし、例え非力であったとしても、全国・全世界には何百万、何千万、何億の人々の「脱原発・反原発」の願いと無数の力があり、連帯したこの力は、巨大な力を発揮し得るという確信のもとで、以下のように闘う。
 もっとも大事なことは、こうした潜在的な力を具体的・政治的な力として、例えわずかずつでも白日のもとに実現していくことである。そのためには、あきらめず、しぶとく、しなやかに闘わねばならない。第二に福島の事故を忘れず、福島の人々を忘れず、全国各地、とりわけ原発立地でしぶとく闘い続ける人々との連帯を時間もかけて実現していくことである。少々の意見の相違を誇張するのではなく、互いの違いをむしろ前提にして、互いに尊重し、連帯を最優先すべきである。肝心なことは人と人との連帯であるからだ。第三にわれわれの重要な特徴でもある「テントの精神」を全国的に理解してもらい、これを大胆に押し広めること。テントの精神とは、一言で言えば、脱原発を掲げ、可視化された日常的・持続的・実際的な存在であることである。だからこそ脱原発運動に一定のインパクトをもたらし、一種の拠点となったのである。全国各地の可能な所から、可能な人々によって始められ、やがて無数の脱原発テントが筍のように生えてゆく。壊されたらまたどこかに立てればよい。経産省前テントひろばはまさにそのような存在である。
共に闘おう!
2015年2月27日

『佐藤可士和の超整理術』

佐藤可士和『佐藤可士和の超整理術』(日本経済新聞出版社 2007)を読む。
日本を代表するアートディレクター/クリエイティブディレクターの著者が、机上「空間」やオフィス空間、パソコンのフォルダなどの整理テクニックに始まり、クライアントとの密なコミュニケーションにより「情報」を整理し、自らの「思考」を整理しすることで、新しいものを生み出していく一連の創作過程を丁寧に説明している。ドコモのケータイや明治学院大学のロゴ、ユニクロの店舗など、著者が関わった作品制作の裏話もあって興味深く読んだ。
特に、著者がオフィスの空間だけでなく、パソコンのフォルダについてもスタッフに対して整理を徹底しているという話は参考になった。
最後に著者は整理について次のようにまとめている。

【空間の整理の目標】

  • 定期的にアップデートする→モノを増やさないため
  • モノの定位置を決め、使用後はすぐに戻す→作業環境をすっきりさせるため
  • フレームを決めてフォーマットを統一する→わかりやすく分類するため

【情報の整理のポイント】

  • 視点を引いて客観視してみる
  • 自分の思い込みをまず捨てる
  • 視点を転換し、多面的に見てみる

【思考の整理のポイント】

  • 自分や相手の考えを言語化してみる
  • 仮説を立てて、恐れずに相手にぶつけてみる
  • 他人事を自分事にして考える

『シフォン主義』

chiffon

昨日、TSUTAYAで「第1回CDショップ大賞」として紹介されていた相対性理論というバンドの『シフォン主義』というCDを借りてきた。
今朝、通勤の車の中で聴いたのだが、40を過ぎたおじさんにはその良さが分からなかった。ちょっと変わった単語を連呼するだけの曲が続くだけであった。
視覚や味覚に比べ、音に対する感覚が一番老化しやすいと聞いたことがある。老化防止にもなるべく新しいジャンルの音楽を聴いていきたい。

『関西の秘境 芦生の森から』

芦生の自然を守り生かす会編『関西の秘境 芦生の森から』(かもがわ出版 1996)を読む。
地球温暖化やらエネルギーやらとスケールの大きい問題の話が続いたので、国内の自然に関する本をと思い手に取ってみた。
関東の人間には聞き慣れない地名だが、芦生という所は京都府北東部の美山町にあり、手つかずの原生林を含む5,100haの山林が広がる土地である。その内の8割が京都大学農学部の演習林として貸し付けられており、その半分は人手が全く入っていない原生的様相を残した森林となっている。
本書では、実際に芦生で暮らす人々の森林との共生について丁寧に触れられている。単純なスローガンで終わるだけの自然保護ではなく、自らの経済的な暮らしを守りながらも自然と共に生きようとする農業組合や、ダム建設反対運動に取り組む活動の模様が紹介されている。

1967年に計画が発表された「芦生揚水発電ダム」であるが、これは若狭湾の原発群とセットになっており、夜間の余剰電力を活用して水を汲み上げるという「原発の補完物」(芦生の自然を守り生かす会 井栗登会長談)なのである。原発は発電所の周囲だけでなく、遠く離れた森林をも破壊する「やっかいもの」だということがつくづく実感できた。

LInk:京都大学フィールド科学教育研究センター森林ステーション芦生研究林
Link:京都・美山 野生復帰計画

『正しいようで正しくない敬語』

奥山益朗『正しいようで正しくない敬語』(講談社+α文庫 1994)を5分の1ほど読む。
1975年に刊行された『現代敬語読本』に加筆、再構成したものである。
著者は、朝日新聞社で出版校閲部長を務めており、多数の使用例を挙げて、敬語の正しい使い方や誤用について丁寧に指摘を加えている。
ちょうど古文で敬語法を扱ったところだったので、頑張って読もうと思ったが、途中で挫折してしまった。
幸い「あとがき」の中で筆者は次のように述べる。読み切ることができなかったが、少し救われる思いである。

 これまで敬語というと、文法上の法則やら、定められた規範を示して、それに反することを叱責するものでした。本書もまた、そのような点がないとはいえませんが、規範以上に大切な言語活動のあることを書き記したつもりです。
 とにかく、明快な言葉で話したり、書いたりしましょう。
 自分の意思ははっきりといい、相手の言葉はしっかりと聞きましょう。
 不必要な言葉、テレ笑い、頻繁なあいづちはやめて、言葉と言葉でわかり合いましょう。
 わからないこと、知らないことは、はっきりと「わからない」といいましょう。
 そのうえで、敬語を使えたら使う、使えなかったらやめるに越したことはありません。