堀江貴文・上杉隆『だからテレビに嫌われる』(大和書房 2011)を読む。
昨日、八王子から水道橋までの電車の中で、暇つぶしに字面を追っていった。
テレビ業界から嫌われている著者の二人がテレビの自主規制や電波利権、3.11の時の偏向した報道などについて、自由に語り合う対談集である。
タクシー無線に纏わる利権の話や、原子力発電の「偉大さ」を演出するための計画停電、日テレの社風など、テレビニュースでは出てこない裏話が興味深かった。
月別アーカイブ: 2015年1月
最終試験
本日、大学の最終試験を受験してきた。
埼玉でも受験できるのだが、最後の回ということで八王子にあるキャンパスで受験してきた。
八王子駅で降りたのは30年ぶりであろうか。
幸い、試験問題は予想の範囲内であったので、一応は解答用紙を埋めることができた。
一年間にわたる勉強であったが、まだまだ足りない。仕事との両立が上手く図れなかったのが心残りである。
あまり間を空けずに次のステップに進んでいきたい。
創価大学は、丘陵全体がキャンパスになっており、ちょうど数年前にオーストラリアで訪れた海外の大学のような雰囲気であった。
また、一昨年より新宿駅西口と大学正門前のシャトルバスが運行されており、八王子インターが近いので、高速を通って40分で新宿まで行くそうだ。これは便利である。
帰りに、キャンパスの正門前にある東京富士美術館へ出かけた。創価大学が運営しているのであろうか、学生証を見せたら無料で入ることができた。
北斎の「富嶽三十六景」全ての版画が展示されていた。デザイン以上に、版画とは思えないきれいな色使いに感心した。芸術鑑賞というよりは江戸時代のきめ細かい職人技術を観賞しているような感じだった。
『大日本帝国の時代』
由井正臣『大日本帝国の時代』(岩波ジュニア新書 2000)を読む。
大学の試験に備えて、慌ててページを繰った。1890年(明治23年)の「大日本帝国憲法」の発布を受けて第1回帝国議会が開かれた年から、アジア太平洋戦争の戦後処理としてのサンフランシスコ平和条約が発効した1952年までの、60年数間の政治と戦争の関わりについて説明されている。
人物名や地名が延々と続き、読み物としてはあまり面白くなかったが、試験前日の日本史用語の暗記しては少し役立った。
『それでも危ない大学』
野木裕子・清丸恵三郎・山内太地・山崎徹『それでも危ない大学:仁義なき生き残りサバイバル』(洋泉社MOOK 2013)を読む。
所謂ボーダーフリーなFランクの学生を揶揄するような内容ではなく、学生を集めるための安易な看護学部増設や、学業や就職に意識が低い学生をあの手この手で立派に卒業させようとする大学側の改革手腕などが紹介される。また、グローバル人材の育成に向けた課題や、高学歴ワーキングプアの実態も、背景を含めて丁寧に説明されている。
大学案内にありがちな「要注意なフレーズ」のまとめが面白かった。「多彩な資格が取れる!」「少人数教育」「本学だけの特徴」「面倒見の良い大学」「充実した奨学金」「充実した設備」などの宣伝文句に気をつけろという。「確かに、あの◯◯大学がそうだった」と頷いてしまう。
「知でつながる:それぞれの場」
今週から東京新聞夕刊の文化欄に、「知でつながる:それぞれの場」と題して、日本各地に広がりを見せつつある私塾や哲学カフェ、読書会などの語り合いの場が特集されている。
一昨日は福島大教授の小野原雅夫さんが世話人を務める「てつがくカフェ@ふくしま」、昨日は武道家・思想家の内田樹さんが主催する「凱風館寺子屋ゼミ」が紹介されていた。そして本日は東浩紀さんが代表の株式会社「ゲンロン」が運営する「ゲンロンカフェ」の模様が紹介されている。
「てつがくカフェ@ふくしま」の世話人小野原さんは、哲学カフェの意義について次のように語る。
一人一人が自分で考え、話合ってものごとを決めていく力が失われている。民主主義は愚かな選択に陥りやすい性質もある。特に原発事故以後、ひどくなっていると感じます。事故が終わっていないことすら忘れ去られている。専門家ではない人たちが、それぞれの体験に基づいて議論しあうことがまずは必要だと思う。
また、「凱風館寺子屋ゼミ」の内田樹さんは、ゼミの目的について次のように語る。「知の解体」というフレーズは印象に残る。
ゼミ生が感性的、知性的に成熟する「市民的成熟」を支援して、日本の未来を支えてもらうことです。こうした小さいサイズの私塾は最近、私の知人の間で燎原の火のごとく広がっています。ほとんど大学関係者です。大学が機能していないからです。
高等教育の基本は自分自身の知的枠組みの閉鎖性を自覚し、それを解体して再構築する作業です。だが、今の大学は、グローバル企業の収益を高める人材を育成する専門学校化している。こんなことをしていたら国が滅びる、という危機感がわれわれを動かしている。
そして、本日取り上げられていた東浩紀さんは、ゲンロンカフェの運営について次のように語る。語りの質を保障する「時間」「空間」に着目している。
言論、つまり人が物を考えてしゃべることの魅力を突き詰めていきたい。この2年間で百回以上のイベントに出ましたが、対談というのは1時間半くらいして、相手が心を開き始めてようやく面白くなる。そこで「定刻です」と打ち切っては何も始まらない。時間や制約を気にせず柔軟に運営するには、空間そのものを作るしかない。しらふの人間が2時間しゃべるだけでは、自分の立場が有利になるような発言しかしないんです。突き崩すのはすごく大変で、コストがかかる。でも、それをおろそかにしてきたから今の論壇はつまらなくなり、日本人は物を考えなくなったんだと思います。
Link
□ てつがくカフェ@ふくしま
□ 凱風館寺子屋ゼミ
□ ゲンロンカフェ