日別アーカイブ: 2014年9月21日

『ナニワ錬金術 唯物論』

naniwa

青木雄二『ナニワ錬金術 唯物論』(徳間書店 1997)を半分ほど読む。
漫画家になる前にパチンコ屋や風俗を含め30の職を転々とした著者が、「資本主義」に毒された日本の労働や恋愛、社会について、その矛盾や欠陥を指摘する。スクリーントーンを用いない全て手書きの絵は印象に残ったが、話の内容は疲れているためか、どうしても頭に入って来なかった。

『イワンのばか』

トルストイ民謡集、中村白葉訳『イワンのばか』(岩波文庫 1932)を読む。
最近、仕事の疲れで気持ちがクサクサしていたので、雄大なシベリアの自然が生み出した文学に浸ろうと手に取ってみた。
表題作『イワンのばかとそのふたりの兄弟』の他、多少の贅沢が身を滅ぼす結果を招いた『小さい悪魔がパンきれのつぐないをした話』や、貪欲な土地所有の強欲を描く『人にはどれほどの土地がいるか』など8編の短編が収録されている。
どの作品にも、労働と倫理観がテーマとなっており、愚直なまでに勤労を重んじる姿勢と、三位一体の信仰を描いた『三人の隠者』や『洗礼の子』のように、ロシア正教のストイックな倫理観が作品の基調をなしている。
せせこましい人間関係にストレスを感じていたので、ちょっとした気分転換となった。

『デラシネの旗』

derasine

五木寛之『デラシネの旗』(講談社 1969)を20数年ぶりに読み返す。
「デラシネ」とは「根無し草」という意味のフランス語であり、五木氏は過去と現在の隔絶、異性愛と同性愛の間のグレーゾーン、そして、反体制側と体制側の溝、といったどっち付かずの中で生き抜く人たちを描く。
砂川闘争や内灘闘争といった学生運動を経て、放送会社の組合長く続けたのだが、組合を辞め会社の管理職に駒を進めることになった30代半ばの会社員黒井が主人公である。その彼がたまたま取材テープの「パリ5月革命」の映像の中に学生運動時代の友人の姿を見つけたことから話は始まる。焼け木杭に火が付いてしまったのか、黒井は仕事や家族を擲ってまでパリに乗り込み、学生運動の闘士だった九鬼を追いかけていく。

結局主人公黒井は何を追いかけたかったのであろうか。理想主義に燃えていた頃の九鬼に単に久闊を叙したかったのであろうか。会社の命令通り、国際的な反戦学生組織を指揮する日本人を取材したかったのか。それとも、組合を離れ、会社の論理に組み込まれていく自分が不安になり過去の自分を取り戻したかったのであろうか。しかし、結論ははっきりとは示されず、読者の想像に委ねられている。

久しぶりに自分の今の生活と重ね合わせながら読むことができて面白かった。学生時代に読んだ時は果たしてどういう感想を持ったのであろうか。私も20年前の自分に会うことができるのならば質問してみたい。