『デラシネの旗』

derasine

五木寛之『デラシネの旗』(講談社 1969)を20数年ぶりに読み返す。
「デラシネ」とは「根無し草」という意味のフランス語であり、五木氏は過去と現在の隔絶、異性愛と同性愛の間のグレーゾーン、そして、反体制側と体制側の溝、といったどっち付かずの中で生き抜く人たちを描く。
砂川闘争や内灘闘争といった学生運動を経て、放送会社の組合長く続けたのだが、組合を辞め会社の管理職に駒を進めることになった30代半ばの会社員黒井が主人公である。その彼がたまたま取材テープの「パリ5月革命」の映像の中に学生運動時代の友人の姿を見つけたことから話は始まる。焼け木杭に火が付いてしまったのか、黒井は仕事や家族を擲ってまでパリに乗り込み、学生運動の闘士だった九鬼を追いかけていく。

結局主人公黒井は何を追いかけたかったのであろうか。理想主義に燃えていた頃の九鬼に単に久闊を叙したかったのであろうか。会社の命令通り、国際的な反戦学生組織を指揮する日本人を取材したかったのか。それとも、組合を離れ、会社の論理に組み込まれていく自分が不安になり過去の自分を取り戻したかったのであろうか。しかし、結論ははっきりとは示されず、読者の想像に委ねられている。

久しぶりに自分の今の生活と重ね合わせながら読むことができて面白かった。学生時代に読んだ時は果たしてどういう感想を持ったのであろうか。私も20年前の自分に会うことができるのならば質問してみたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください