月別アーカイブ: 2014年9月

経済学史 第3課題

不完全雇用均衡
 Keynesは仏語の『一般理論』の序文の中で,「総所得,総利潤,総産出量,総雇用,総投資,総貯蓄といった全体としての経済システムの動きである」と述べ,ミクロな動きではなく,マクロな視点を前提とする経済学を打ち立てた。古典派の雇用理論は完全雇用均衡の特殊状態を想定しているが,Keynesは財市場の均衡と労働の不均衡という不完全雇用均衡論を展開した。不完全雇用均衡とは,失業現象を,期待の外れに基づく市場の不均衡現象としてではなく,市場の自然的な諸力がその効果を発揮し尽くしたもとで成立する均衡状態とみなすことである。

非自発的失業
 Keynesは,賃金が納得できず働く意思がないために就業しない「自発的失業」や,転職の合間にあって就業していない「摩擦的失業」の2種類だけでは,1920年代から続く英国の高失業率は説明できないと考えた。そこで,「供給はそれ自らが需要を作り出す」とした「セイの法則」を否定し,労働供給が減っても雇用の需要は増えているという点に注目した。つまり,物価が上昇して,実質賃金が低下しているにも関わらず雇用量が増えるという状況においては「非自発的失業」が生じているとした。

有効需要の原理
 keynesは,雇用量N人とそれから生じる生産物の総供給関数をZ=φ(N),雇用量N人とその生産物の販売から予想される総売上金額をDとする時の両者の関係を総需要関数D=f(N)と表した。そして,ある雇用量のもとで,D>Zであれば,企業は両者が一致する点まで雇用量を増加させる。逆にD

本日の東京新聞夕刊より

本日の東京新聞夕刊に、第2次安倍内閣で総務相に就任した高市早苗衆院議員と自民党の稲田朋美政調会長ら国会議員3人が、「国家社会主義日本労働者党」を名乗る極右団体の男性と議員会館で会い、ツーショットで撮った写真が団体のホームページに公開されていたとの記事が掲載されていた。団体のページには、ナチス・ドイツの「かぎ十字」やのマークが数多く掲載され、「東亜新秩序建設」や「わが人種の優秀性を主張する」「攘夷すなわち民族浄化を推進しなければならない」といった民族差別丸出しのスローガンまで並んでいる。

高市さんも、稲田さんも団体代表の素性や思想について、知らぬ存ぜぬの洞が峠を決め込んでいるようだが、写真で明らかなように堂々たる確信犯である。暴力的な行為や公共的の場での発言に及ばない限り、「国家社会」何たら党が私的に作っているネット上で何を発言しようが自由だし構わないとも思う。しかし、議員会館で明らかに不自然な人物の面会を受けるのはどうかと思う。
両名とも自分たちは安全な場に居ながら、若者や貧困層が犠牲になる戦争を賛美するどうしようもない議員である。説得も議論も不要であろう。こういった輩には、手前らが軍服着て槍でも銃でも担いで尖兵を切ってこいと言いたい。エルサレムの中心部でハーケンクロイツと日の丸を背に、日本民族の優位性でも他民族の侮蔑でも堂々と主張してくればよい。
また、国際的恥さらしをしている人物を閣僚に入れた安倍総理の責任を追究する責任が野党にはある。さてどこが批判の急先鋒となるであろうか。期待したい。

以下、英紙「The Guardian」より転載

Neo-Nazi photos pose headache for Shinzo Abe

Two newly promoted political allies of Japanese PM shown smiling alongside far-right figure Kazunari Yamada
Pictures from Japanese neo-Nazi Kazunari Yamada's website show him posing with Shinzo Abe allies
Pictures from Japanese neo-Nazi Kazunari Yamada’s website show him posing with Shinzo Abe’s internal affairs minister, Sanae Takaichi, and his party’s policy chief, Tomomi Inada. Photograph: Guardian

Barely a week after Japan’s prime minister, Shinzo Abe, overhauled his administration amid flagging popularity, two of his senior colleagues have been forced to distance themselves from rightwing extremism after photographs emerged of them posing with the country’s leading neo-Nazi.

Sanae Takaichi, the internal affairs minister, was among a record-equalling five women selected by Abe as he attempts to make his cabinet more female voter-friendly and to increase women’s presence in the workplace.

Takaichi, an Abe ally on the right of the governing Liberal Democratic party (LDP), was pictured posing alongside Kazunari Yamada, the 52-year-old leader of the National Socialist Japanese Workers party, on the neo-Nazi party’s website.

A smiling Takaichi and Yamada appear together standing in front of a Japanese flag.

Yamada has voiced praise for Adolf Hitler and the September 2001 terrorist attacks on the World Trade Centre. In a YouTube video Yamada’s supporters are seen wearing swastika armbands, while he denies the Holocaust took place and criticises postwar Germany’s ban on the Nazi salute, accusing the country of being “no different from North Korea”.

Takaichi met Yamada “for talks” at her office in the summer of 2011, according to her office. Confirming the photographs were genuine, a spokesman for Takaichi claimed her office had been unaware of Yamada’s extremist views at the time.

“[He] was an assistant to an interviewer and was taking notes and photos,” a member of Takaichi’s staff told AFP. “We had no idea who he was back then but he requested a snap shot with her. [She] wouldn’t have refused such requests.”

Media coverage prompted her office to request that the photographs be removed but by then they had already been widely circulated on social media.

“It was careless of us,” the staff member said, adding that Takaichi did not share Yamada’s views “at all … it is a nuisance”.

A second photograph shows Yamada standing alongside Tomomi Inada, another close Abe ally who was given the powerful job of LDP policy chief. Inada’s office was quick to distance the MP from Yamada, whose website celebrates the “samurai spirit” and proclaims that the “sun shall rise again”, saying it would be disappointed if the photograph led people to “misunderstand what she does”.

While there is no evidence that either politician shares Yamada’s neo-Nazi ideology their appointment has fuelled accusations that Abe is taking his administration even further to the right.

Takaichi and Inada have both visited Yasukuni shrine, which honours Japan’s war dead, including 14 class-A war criminals; last week, Takaichi said she would visit Yasukuni again, this time in her role as minister. “I’ve been visiting Yasukuni as one Japanese individual, to offer my sincere appreciation to the spirits of war dead,” she told reporters. “I intend to continue offering my sincere appreciation as an individual Japanese.”

China and South Korea view politicians’ pilgrimages to the shrine as evidence that Japan has yet to atone for atrocities committed on the Asian mainland before and during the second world war.

3週連続放送エヴァまつり

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先週まで3週に渡って地上波で放映された、庵野秀明監督『ヱヴァンゲリオン新劇場版』の過去3作を続けて観た。
特に3作目の『新劇場版:Q』は、映画館で観て以来2年ぶりの鑑賞だった。
思えば、この『エヴァ』も最初のテレビ版を友人から借りたビデオテープで観てから20年近い月日が流れている。
また、学生時代に三浦海岸あたりまでバイクで出かけて、『エヴァ』の再放送の時間に間に合わなくなってしまい、横横をぶっ飛ばして帰ったこともある。
昨年訪れた伊勢神宮ではないが、自分の来し方行く末を占う上でのマイルストーンともなっている作品である。
自分の成長(下降?)と合わせながら楽しんでいきたい。

経産省前テントひろばMLより

経産省前テントひろばのメーリングリスト「テント日誌」[9/5]より転載します。
「政治屋」に頼らない無党派運動の「現場」に根ざした文章である。

 昼過ぎには鹿児島の川内原発の地元の人だという二人がテントを訪ねてきた。訪ねてきたというよりはテントを見ていた二人にパンフを渡しながら話かけたら明らかにしたのである。彼らは原発再稼動の賛否はいわなかったが結構長い話になった。反対派の展望というか、政策めいたことを質問してきたのは関わりの深い人のようにも思えた。原発推進派は最後に雇用と地域経済のことを持ちだすが、これは悪循環であって、原発維持派は原発に頼らなくてもいい経済的・地域的再性の可能性を潰してきたし、それをネグレクトする形で原発存続の構造を維持をしてきたのではないのか。こういう疑問が出てくるのだけれど、原発が地域経済を振興させるという神話が解体したる今、それをさらにはっきりさせるためにも原発以外のエネルギー開発と地域経済の再生の展望を明確にして行くことの必要を感じる。

 現在、商業用の原発は稼動を停止しているし、それはやがて1年になろうとしている。「電気が足りない」「原発は安い」という神話が安全神話の崩壊に続いているが、僕らはこの稼働停止の中で脱原発の現実的な闘いが展開されていることを忘れはならない。脱原発の運動(政治的意志表示など)のことではない。原発推進派とそれ以外のエネルギー開発をめざすグループは日々しのぎをかけた闘いをやっているのであり、停止が一日でも延びれば原発推進派は不利になる。原発以外のエネルギ―開発やそれに向かう投資は進み、原発存在の基盤は減衰して行くからだ。かつてもそういう時期があったが原発推進派の勝利はエネルギ―開発の動きを潰した。今度はそれをさせてはならない。脱原発の運動は多様な、まさに重層的な展開をしながら連なっているのである。

朝日新聞の「プロメテウスの罠」は「2人の首相」という記事で小泉や細川のことを取り上げていた。彼らが政党や政治に距離を置き、国民運動に軸足をおいて行くと宣言しているのは賢明であり、さすがに彼らは分かっているのだと思った。脱原発運動の広さと深さを視座として持っていることをこの発言はしめしているが、これまで本家として脱原発運動をやってきたと自認する部分は、秋に陣に当たってこの辺を帰り見るのも必要かと思う。自分たちのやってきたことを帰り見る事は前に向かうためにやらねばならぬことであり、それはいつだってやり足らないことなのだ。(三上治)

西洋史 第2課題

 独占資本主義段階に達した列強が非Europe地域を自国の植民地や勢力圏に組み入れようと競合し,資本輸出政策を展開した政治・経済・社会の動向を帝国主義という。特にAsiaやAfrica地域において,後発のGermanを加えた世界分割競争が繰りひろげられ,世界大戦へと発展した。
 最も早く帝国主義政策をとったのは英国である。Disraeli内閣によるSuez運河会社株買収(1875),India帝国の成立(1877)に続き,Gladstone内閣によるEgypt占領,Chamberlainによる南Africa戦争と,植民地拡大政策が遂行された。同時期にRhodesはEgyptのCairoからCape Townまでひと続きの植民地を建設しようとした。「できることなら空に浮かぶ星も併合したい」と口にしたRhodesは当時の英国帝国主義政策を象徴する人物といえる。
 1898年,英軍と仏軍がSudanのFashodaで対峙するという事件が起きた。しかし,国内でDreyfus事件を抱えていた仏国は,土壇場で譲歩し,Sudanは英国領となった。この事件を通じて両国は関係が改善され,独逸との利害関係の一致から,1904年に英仏協商が成立した。
1899年Transvaal共和国やOrange自由国の併合に反発したBoer人と英国の間にBoer戦争が始まった。Guerilla戦を展開するBoer人の抵抗は強固で,英国は45万人もの兵力を動員する大戦争となった。そのため極東地域での露国の南下政策を牽制する余裕がなくなり,1902年に「光栄ある孤立」政策を破棄し,日英同盟を結ぶことになった。辛勝した英国は1910年南Africa連邦を形成し,apartheidが行われた。
 1870年に普仏戦争に敗れ,第三共和制が成立した仏国では,対外的にはNapoléonⅢに引き続き,Indochina/Africaに植民地を拡大していった。内政面では,1889年にBoulanger将軍を中心とした反議会・対独復讐の大衆運動の高揚といった政情不安定な状態が続いたが,徐々に国民の中に排外民族主義が浸透していった。
 1871年にドイツ帝国を成立させたBismarckの外交政策は「Europeの安定とFranceの孤立化」であった。1873年にRussia/Austriaと三帝同盟を結び,さらに,1882年にはAustria/Itaryと三国同盟を成立させた。しかし,1890年Bismarckが辞職すると,皇帝WilhelmⅡは「世界政策」という名前で帝国主義政策をとり,積極的に植民地獲得に乗り出した。1894年に露仏同盟が成立すると,独墺伊の三国同盟と露仏の二国同盟の対抗という形となった。また,英国のSuez運河を経由したIndia植民地化政策(3C政策)に対抗して,Osman帝国から領内の鉄道敷設権を獲得し,Berlin/Byzantium/Bagdadを押さえ,India洋を支配下に置く3B政策を押し進めた。1905年,1911年と仏国によって植民地化されつつあったMoroccoに軍艦を派遣すると,英国は仏国を支援して,独逸の要求を挫いた。
 また,1890年代以降,高度工業化が急速に進展し,石炭や鉄鋼などの伝統的な重工業に加え,化学工業や電気工業などの先端技術を駆使した分野でも優位に立ち,巨大銀行と結び付いた帝国主義的膨張政策が国外だけでなく,国内でも大きな意味を持つようになった。社会主義の台頭もあったが,反体制派や労働者を体制内に統合し,政府国民の双方から全独逸人による大帝国建設を目指すPan-Germane主義を支持する傾向が強まっていった。
 露土戦争に敗れ,Berlin条約で南下政策が挫折した露国は,東方への進出を図り,露仏同盟成立後,仏国資本を導入したSiberia鉄道建設に着手した。1904年に日露戦争が始まると国民生活は悪化の一途を辿り,1905年の血の日曜日事件を契機に,第1次Russia革命が始まった。労働者代表の自治組織Sovietが作られ,NikolaiⅡは国会開設を認めようやく事態は収拾に向かうこととなった。
 露国の弱体化が明らかになると,中央Asiaでの権益を協議するため,1907年英露協商が結ばれた。その結果,英仏露3国相互に三国協商という同盟関係が成立し,独墺伊の三国同盟と対立した。1908年にOsman帝国内で青年Turkey革命が起きると,Austria=Hungaryは独逸の後押しを受けてBosnia-Herzegovinaを併合した。しかし,両州の住民の大半がSlav系であったため,SerbiaはRussiaに助けを求めたため,戦争の危機が高まった。1912年,SebiaやBulgaria,Montenegro,Greeceの4国はBalkan同盟を結びTurkeyに宣戦布告をした。仏国や露国の武器供与を受けたSerbiaと独逸の武器供与を受けたTurkeyの戦争は,地域だけの対立に留まらず,過剰資本の投資先を巡る帝国主義国間の国際対立の主戦場であった。2度の戦争を通して,列強の二極化がBalkan半島の民族意識を過度に刺激し,Balkan半島は”Europeの火薬庫”と呼ばれた。第1次大戦のきっかけとなった1914年のAustria皇太子夫妻暗殺の犯人は,まさに暴走を始めた帝国主義だと言ってよい
〈参考文献〉□木下康彦他編『詳説世界史研究』山川出版社 2008年 □浅野典夫『「なぜ?」がわかる世界史』学研 2012年