臼井隆一郎『コーヒーが廻り世界史が廻る:近代市民社会の黒い血液』(中公新書 1992)を読む。
大航海時代以降、香辛料やお茶、阿片の交易を巡って世界の国々が結びついていく歴史は教科書にも載っているが、コーヒーの流通や普及から、重商主義の拡大から帝国主義までを俯瞰するという、一風変わった内容の本である。歴史の勉強の一環として手に取ってみた。
イエメン発祥とも言われるコーヒーが、メッカやエジプト・カイロを経由したイスラム教徒の隊商貿易で広くヨーロッパに流通していく過程や、フランス中南米のハイチに、ドイツが東アフリカのタンザニアにそれぞれコーヒーのプランテーションを作っていく流れ、フランス革命の情報の拠点にコーヒーハウスが使われたといった、受験生時代に参考書や問題集でやらなかったような史実が次々と紹介される。
高校の教科書が華やかな政治や経済、戦争、事件を中心としたメインストリートであるのに対して、およそ農地に適さないような高地や路地裏の喫茶店での演説など、歴史街道の裏道を辿るようで興味深かった。
月別アーカイブ: 2014年9月
『ナニワ錬金術 唯物論』
『イワンのばか』
トルストイ民謡集、中村白葉訳『イワンのばか』(岩波文庫 1932)を読む。
最近、仕事の疲れで気持ちがクサクサしていたので、雄大なシベリアの自然が生み出した文学に浸ろうと手に取ってみた。
表題作『イワンのばかとそのふたりの兄弟』の他、多少の贅沢が身を滅ぼす結果を招いた『小さい悪魔がパンきれのつぐないをした話』や、貪欲な土地所有の強欲を描く『人にはどれほどの土地がいるか』など8編の短編が収録されている。
どの作品にも、労働と倫理観がテーマとなっており、愚直なまでに勤労を重んじる姿勢と、三位一体の信仰を描いた『三人の隠者』や『洗礼の子』のように、ロシア正教のストイックな倫理観が作品の基調をなしている。
せせこましい人間関係にストレスを感じていたので、ちょっとした気分転換となった。
『デラシネの旗』
五木寛之『デラシネの旗』(講談社 1969)を20数年ぶりに読み返す。
「デラシネ」とは「根無し草」という意味のフランス語であり、五木氏は過去と現在の隔絶、異性愛と同性愛の間のグレーゾーン、そして、反体制側と体制側の溝、といったどっち付かずの中で生き抜く人たちを描く。
砂川闘争や内灘闘争といった学生運動を経て、放送会社の組合長く続けたのだが、組合を辞め会社の管理職に駒を進めることになった30代半ばの会社員黒井が主人公である。その彼がたまたま取材テープの「パリ5月革命」の映像の中に学生運動時代の友人の姿を見つけたことから話は始まる。焼け木杭に火が付いてしまったのか、黒井は仕事や家族を擲ってまでパリに乗り込み、学生運動の闘士だった九鬼を追いかけていく。
結局主人公黒井は何を追いかけたかったのであろうか。理想主義に燃えていた頃の九鬼に単に久闊を叙したかったのであろうか。会社の命令通り、国際的な反戦学生組織を指揮する日本人を取材したかったのか。それとも、組合を離れ、会社の論理に組み込まれていく自分が不安になり過去の自分を取り戻したかったのであろうか。しかし、結論ははっきりとは示されず、読者の想像に委ねられている。
久しぶりに自分の今の生活と重ね合わせながら読むことができて面白かった。学生時代に読んだ時は果たしてどういう感想を持ったのであろうか。私も20年前の自分に会うことができるのならば質問してみたい。