月別アーカイブ: 2014年8月

『ローマは一日にして成らず[上]』

塩野七生『ローマは一日にして成らず[上]:ローマ人の物語1』(新潮文庫 1992)を読む。
昨日ギリシャ・ミケーネ文明についての本を読んだので、次はローマだろうということで手に取ってみた。
全15冊の『ローマ人の物語』シリーズの第1巻の文庫本である。
トロイ落城の惨劇から脱出したアエネアス一行が流れ着いたとされる紀元前13世紀から、ロムルスによる建国を経て、紀元前5世紀半ばまでのローマ人の建国の奮闘と、クレタ文明からペロポンネソス戦争前夜までのギリシャの歴史が読みやすい文体で描かれる。
歴史家ディオニソスの著作[古ローマ史』の中で次のように定義づけていたそうだ。妙に印象に残ったので引用してみたい。

人間の行動の正し手を、
宗教に求めたユダヤ人
哲学に求めたギリシア人。
法律に求めたローマ人。
この一事だけでも、これら三民族の特質が浮かび上がってくるぐらいである。

後半は歴史だ!

8月の前半までにレポートをなんとか16冊提出することができた。
残りは、経済学史と日本史、西洋史、東洋史のそれぞれ2冊、合計8冊を数えるだけである。

しかし、ただ指定された内容のレポートを提出し、試験に受かるだけの最短距離の学習では味気ない。
高校時代や浪人時代の受験勉強では味わえなかった歴史にまつわる人間模様にまで踏み込んで、歴史のつながりや地理的視点を学んでいきたい。
まずは歴史小説から始めていきたい。
勉強できる環境と、支えてくれる家族に感謝したい。

『古代への情熱』

シュリーマン・関楠生訳『古代への情熱:シュリーマン自伝』(新潮文庫 1977)を20数年ぶりに読み返す。
西洋史の勉強の手始めに手に取ってみた。
奥付を見ると1989年に刷られているので、高校時代に買った文庫本そのものである。
20数年前に読んだ時は、『インディ・ジョーンズ』のノベライズのような内容を期待していたのだが、あまりに淡々とした文体に肩透かしを食らったような印象が残った。今回もさほど内容についての印象は変わらないが、40代半ばまでを事業と勉強に費やし40代後半になってから子どもの頃の夢を追い始めるシュリーマンの生き方への憧れと、ほぼ同じ年齢になったことによるシュリーマンへの親しみを感じた。空想の都市だと考えられていたミューケナイやトロイアを探し求めようとするシュリーマンの姿から、中年になってから新しいことにチャレンジするエネルギーを貰った気がする。

余談だが、私は高校を卒業してから合計で9回の引っ越しを経験している。その度に本は全て運んでいるので、この『古代〜』は、10回近く段ボールに詰められては本棚に戻されるという体験をしているのだ。私自身高校時代は歴史に興味があり、高3の現役の時には史学科を受験している。その後浪人している間に歴史の用語の暗記ばかりの勉強に飽きがきてしまったのか、史学科志望から文学科志望に変更している。
しかし、その文学への道も大学1年から数えれば20年近い年月が流れている。今年、改めて地理歴史の勉強を始めるに当たって、考古学者を夢見ていた頃に読んだ本が、20数年経ってもう一度本棚の奥から「発掘」されるというのは、何かしらの運命めいたものを感じざるを得ない。

『ホルテンさんのはじめての冒険』

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地上波で放映された、ベント・ハーメル監督、ボード・オーヴェ出演『ホルテンさんのはじめての冒険』(2009 Norway)を観た。
鉄道運転士を40年真面目に勤め、いよいよ定年退職の日の朝に限って寝坊してしまうことで、ホルテンさんの不思議な冒険が始まる。「冒険」といっても、未知なる場所へ出かけたり、新しいことにチャレンジしたりするわけではない。ひょんな出会いや偶然を飄々と楽しむ67歳のホルテンさんの姿が描かれるだけである。ロードムービーのようなテイストで、私好みの映画であった。

『水を知ろう』

荒田洋治『水を知ろう』(岩波ジュニア新書 2001)を読む。
冒頭、液体の水よりも固体の氷の方が密度が小さく、体積が大きいという点から、水の不思議に迫っていく。読みやすい文体なのだが、分子構造のモデル図から、水の分子の特性を説明するという内容なので、結局半分以上読み流すことになった。
それでも、H2Oの密度は摂氏0度以下ではなく、4度で最大になるとか、自ら氷になる際には”芯”になるものが必要なので、人口降雨にはヨウ化銀(AgI)が有効だとか、温度が低いほど、水は表面張力が大きくなってしまうので、洗濯の時は水温を高くしたり、表面張力を低下させる「界面活性剤」を加えたりするといった、「なるほどおぉ」と頷いてしまう話が多かった。
最後の章立てで、著者は水よりも沸点が高く、粘度が通常の水に比べて1桁以上も高く、密度が1.4g/㎤にも達する性質を持つ「ポリウォーター」なる代物が結局は真っ赤な偽物であったという事件に触れて、次のように述べる。小保方さんの「STAP細胞」の真偽で揺れる現在においても示唆的な内容である。

10年あまりの間、世界の学会を騒がせ続けたあと、この世から忽然と消えたポリウォーターは、多くの教訓をあとに残しました。新しい発見には、つねに客観的な検証が必要です。「どこで、誰が実験しても」その結果が「再現」できなければなりません。化学的な分析結果が必要ですが、それには、それぞれの時代に得られる分析技術を用いるに耐える十分な実験材料の量が求められます。ポリウォーターの場合には、不幸なことに、その条件がみたされていませんでした。その結果、化学的な裏付けがないまま、頭だけで考えた理屈が先行し、どんどん膨らんでいったのです。
(中略)科学は、つねに新しいものを目指して進歩しなければなりません。しかし、そのためには、しっかりした足場を固めつつ進むことが必要です。少なくとも、科学を考える場合には、最終的には自分の頭で納得できるかどうかがかぎです。たとえどんなに高名な先生の意見であっても、ただそのことに惑わされてはなりません。