地上波で放映された、ベント・ハーメル監督、ボード・オーヴェ出演『ホルテンさんのはじめての冒険』(2009 Norway)を観た。
鉄道運転士を40年真面目に勤め、いよいよ定年退職の日の朝に限って寝坊してしまうことで、ホルテンさんの不思議な冒険が始まる。「冒険」といっても、未知なる場所へ出かけたり、新しいことにチャレンジしたりするわけではない。ひょんな出会いや偶然を飄々と楽しむ67歳のホルテンさんの姿が描かれるだけである。ロードムービーのようなテイストで、私好みの映画であった。
日別アーカイブ: 2014年8月21日
『水を知ろう』
荒田洋治『水を知ろう』(岩波ジュニア新書 2001)を読む。
冒頭、液体の水よりも固体の氷の方が密度が小さく、体積が大きいという点から、水の不思議に迫っていく。読みやすい文体なのだが、分子構造のモデル図から、水の分子の特性を説明するという内容なので、結局半分以上読み流すことになった。
それでも、H2Oの密度は摂氏0度以下ではなく、4度で最大になるとか、自ら氷になる際には”芯”になるものが必要なので、人口降雨にはヨウ化銀(AgI)が有効だとか、温度が低いほど、水は表面張力が大きくなってしまうので、洗濯の時は水温を高くしたり、表面張力を低下させる「界面活性剤」を加えたりするといった、「なるほどおぉ」と頷いてしまう話が多かった。
最後の章立てで、著者は水よりも沸点が高く、粘度が通常の水に比べて1桁以上も高く、密度が1.4g/㎤にも達する性質を持つ「ポリウォーター」なる代物が結局は真っ赤な偽物であったという事件に触れて、次のように述べる。小保方さんの「STAP細胞」の真偽で揺れる現在においても示唆的な内容である。
10年あまりの間、世界の学会を騒がせ続けたあと、この世から忽然と消えたポリウォーターは、多くの教訓をあとに残しました。新しい発見には、つねに客観的な検証が必要です。「どこで、誰が実験しても」その結果が「再現」できなければなりません。化学的な分析結果が必要ですが、それには、それぞれの時代に得られる分析技術を用いるに耐える十分な実験材料の量が求められます。ポリウォーターの場合には、不幸なことに、その条件がみたされていませんでした。その結果、化学的な裏付けがないまま、頭だけで考えた理屈が先行し、どんどん膨らんでいったのです。
(中略)科学は、つねに新しいものを目指して進歩しなければなりません。しかし、そのためには、しっかりした足場を固めつつ進むことが必要です。少なくとも、科学を考える場合には、最終的には自分の頭で納得できるかどうかがかぎです。たとえどんなに高名な先生の意見であっても、ただそのことに惑わされてはなりません。
「ホームレス襲撃 見過ごしてはならない」
本日の東京新聞朝刊のコラムに、「ホームレス襲撃」について、注意を換気する社説が掲載されていた。
「平和」や「民主主義」をお題目にした海外の戦争に加担する前に、国内で生活をする住民の安全を優先させる社会でありたいと心から思う。
野宿者に対する差別の根底には、自分と同じではない者を排除しようとする社会不安や孤独が背景にある。そして、そうした不安や不満の蓄積が大日本帝国を盲目的に賛美する戦争に繋がっていったという経緯も合わせて確認しておきたい。
ホームレスへの襲撃は弱者を標的にした卑劣な暴力だ。その数の多い東京では約四割の野宿者が襲われた経験を持つ。痛み、屈辱はだれも同じはずだ。警察や行政当局は対策に動くべきだ。
東京・上野公園の周辺で暮らしていた六十代の男性がこの夏、自ら命を絶った。二年前からこの男性に炊き出しを続けていたボランティアの石崎克雄さん(67)は、男性が亡くなる前日に知らない若者に金属バットで殴られ、頭から血を流しているのを見た。男性はこの半年間に何度か通行人に殴られたり、自転車を投げつけられていた。「疲れた」と話した翌朝、駅前で亡くなった。悲しすぎる。石崎さんは一度暴行の現場を目撃したが、犯人は逃げてしまった。男性を死に追い詰めたことを悔やんでいる。
都内では一九九五年以降、野宿をしているというだけで襲われ、少なくとも十人が犠牲になった。二〇〇五年には墨田区で高校生に暴行され死亡する事件も起きた。無抵抗な人を襲う、理不尽な暴力は今もやんでいない。
民間支援団体の調べでは、東京都内の駅や公園などで寝泊まりする野宿者の四割が暴力を振るわれた経験を持つ。台東や新宿など十数カ所で暮らす約三百五十人から聞き取った貴重なデータである。集団で石を投げられる。鉄パイプで殴られる。花火を打ち込まれる。暴行された後に「死ね」と言われた人もいる。
見過ごせない犯罪だ。警察は団体の問題提起を受け止め、刑事事件として捜査すべきだ。行政も野宿者が危険に遭わないよう、生活再建や支援にもっと動くべきだ。加害者には若者や子どもが目立つという。ホームレスなら襲ってもいい。社会から追いだしていい。そんな心があるなら間違いだ。一方的に襲われて、どんなに怖いか。悔しいか。わが身に引き寄せて考えたい。
墨田区で小中学生が野宿者について学び始めている。地元の支援団体の協力で、野宿者を教室に招いて境遇を語ってもらったりしている。自分と異なる立場の人を知り、子どもは一歩ずつ偏見や差別を乗り越えていくのではないか。
加害者もまた、社会のどこかで傷つけられ、つまはじきにされている人たちかもしれない。地域の人々の無関心が弱者排除の連鎖を生みやすい。もう目をつぶるのはやめたい。