シュリーマン・関楠生訳『古代への情熱:シュリーマン自伝』(新潮文庫 1977)を20数年ぶりに読み返す。
西洋史の勉強の手始めに手に取ってみた。
奥付を見ると1989年に刷られているので、高校時代に買った文庫本そのものである。
20数年前に読んだ時は、『インディ・ジョーンズ』のノベライズのような内容を期待していたのだが、あまりに淡々とした文体に肩透かしを食らったような印象が残った。今回もさほど内容についての印象は変わらないが、40代半ばまでを事業と勉強に費やし40代後半になってから子どもの頃の夢を追い始めるシュリーマンの生き方への憧れと、ほぼ同じ年齢になったことによるシュリーマンへの親しみを感じた。空想の都市だと考えられていたミューケナイやトロイアを探し求めようとするシュリーマンの姿から、中年になってから新しいことにチャレンジするエネルギーを貰った気がする。
余談だが、私は高校を卒業してから合計で9回の引っ越しを経験している。その度に本は全て運んでいるので、この『古代〜』は、10回近く段ボールに詰められては本棚に戻されるという体験をしているのだ。私自身高校時代は歴史に興味があり、高3の現役の時には史学科を受験している。その後浪人している間に歴史の用語の暗記ばかりの勉強に飽きがきてしまったのか、史学科志望から文学科志望に変更している。
しかし、その文学への道も大学1年から数えれば20年近い年月が流れている。今年、改めて地理歴史の勉強を始めるに当たって、考古学者を夢見ていた頃に読んだ本が、20数年経ってもう一度本棚の奥から「発掘」されるというのは、何かしらの運命めいたものを感じざるを得ない。