増田ユリヤ『「新」学校百景:フリースクール探訪記』を読む。
先日六本木ヒルズで学校説明会をやってしまうような進学重視の学校の本を読んだので、それとは真逆なフリースクールの様子が知りたいと思い手に取ってみた。
一般にフリースクールというと、ガチガチの進学校に比べ、規則も緩く、だらだらした雰囲気の学校というイメージが付きまとう。しかし、有機農業を真剣に学ぶ学校や、ポニーと暮らしながら生き物を育てることの厳しさを学ぶ学校、少人数で寮生活することで逆に濃密な人間関係に揉まれる学校など、一般の学校よりも厳しい学校が全国にはたくさんある。また、そうした学校は行政からの補助もないため、その信ずるべき教育理念を守るため、ギリギリの運営を強いられている。運営するスタッフの熱い思いが印象に残った。
しかし、読み進めながら、都心の進学校であろうと、田舎のフリースクールであろうと、子どもとじっくり付き合い、様々な勉強や行事を通じて子どもの内発的動機を刺激し、子ども自らが自己の将来像を描きだすことを応援するという教育の根幹は変わらない。むしろ公立学校と比べて、エリートが集まる進学校と不登校児が中心のフリースクールの方が共通点が多いかもしれない。
著者自身も既存の公教育そのものを否定するフリースクールには批判的であり、公立学校とフリースクールが補完的な関係として共存していく方向性を示唆している。
学校という枠の中で、傷ついた子どもたちが、フリースクール・フリースペースとよばれる”居場所”で羽を休める。しかし、休んでばかりもいられない。ひとりで生きていく力を養うには、”快””楽”なことばかりではない。”難””辛””苦””耐”……こうしたことにも打ち勝つ力が必要なのである。そのために何をしていくべきなのか。一時的な現象としてではなく、長い目でみて、”不登校”という状況がもたらす様々な問題を真剣に考える時期にきているのである。