月別アーカイブ: 2009年12月

「厄介な”中野重治”的課題」

本日の東京新聞夕刊に、「厄介な”中野重治”的課題」と題した挑戦的な意見が、匿名辛口コラム「大波小波」に載っていた。全文引用してみたい。

 「中野重治が生きていたら何と言うか」といった仮定的考察は、十年前、小田切秀雄『中野重治-文学の根幹から』に見られた。評論「冬に入る」の石川達三や川上徹太郎への批判の重要さも、松下裕『評伝 中野重治』が解いていた。魯迅の影響も、とっくに本多秋五が指摘していた。
それら先行論述との重複をおそれず、その上に立ち、戦後六十余年の新見地から改めて一文学者の時代的良心を検証するのが、竹内栄美子『戦後日本、重治という良心』(平凡社新書)。すぐれた表現力と政治的倫理性をそなえた中野重治に、傾倒するのみでなく、「負債(誤り)」も容赦なくえぐる。ソ連のチェコ侵攻(1968年)への容認その他、詳細な資料による重厚な論述展開のかたわら、河村湊の中野観(政治優先とする)の誤りなども厳しく否定している。
だが、共産党除名問題のからむ、重治の生涯の二律背反的課題〈政治と文学〉の苦悩、いわば「鉄の意志」対「やわらかい心臓」の内的相克は、なお充分に解明されてはいない。重治は日本人の〈鈍感〉を攻めたが、重治自身の古い共産主義への執着といった鈍感さはどうか。「良心」という既成概念を捨て、さらに厳しく「反戦平和」の声を重治に求めるのは無理だろう。

今思い返すに、私自身が十数年前に卒論を書く際に、最初に思いついたテーマは「国労闘争と中野重治」であった。中野重治の希求する「反戦平和」と国労の反戦運動の類似を研究するという超マニアックなものであった。しかし、あまりのテーマ設定の難しさにすぐに挫折したという経験がある。確かに中野重治には、盟友小林多喜二の死、それ以降の「転向」問題もあり、ピュアな戦前共産主義運動に対する望郷の念が心の底に眠っている。まして中野は、共産主義運動を、レーニンの「帝国主義論」を経由することなく、直接にドイツ・マルクスの原典から学んでいるので、共産主義を詩や文学に近い純粋なものと捉える傾向が強い。
今夏、中野重治の墓に参ったが、もう一度、きちんとした形で中野を研究したいという気持ちを再確認することができた。

『宇宙戦艦ヤマト』

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先日深夜番組でに放映されたのを録画した松本零士・枡田利雄監督『宇宙戦艦ヤマト』(1977 東映)を見た。
テレビ放送の内容のダイジェストであり、画像も粗く、あらすじだけを繋ぐだけのものであった。しかし、単なる子ども向けのSFアニメではなく、戦争のむなしさや国家に使われるだけの庶民の苦しさに触れる場面もあり、最後まで楽しむことができた。ささきいさおの勇ましい歌声が場面場面で効果的に使われており、高揚感の絶えない作品であった。

『爆笑問題の清き一票を田中に!』

爆笑問題『爆笑問題の清き一票を田中に!:流行と事件のアーカイブ2006~2007』(集英社 2007)を読む。
週刊プレイボーイに連載されている時事問題をネタにした漫才である。
中沢新一と太田光の、二人の共著『憲法九条を世界遺産に』を巡る対談が興味深かった。その中で中沢氏の主体性についての発言に対して、太田氏は次のように述べている。

中沢:左翼は戦争に至る過程の日本を全部否定して、戦後を良いものとした。もう一方は、戦後の体制は悪くて、戦前は美しいという。両者とも戦前と戦後を切っているんですよ。ところがこの本はちょっとよじれているけれども、戦前の日本も戦後の日本もひとつの連続体で、あの戦争をしたのも日本人だし、そして、いま、平和憲法のもとに生きているのも同じ日本人だというところに論点をすえなきゃいけないんじゃないかといっています。

太田:日本の歴史って、例えばA級戦犯だとか、外国でいうとヒトラーだとか、わかりやすい悪人がいて、それを攻撃しておけばいいみたいなところがあると思うんですけど、日本に限らず、歴史の中で一番怖いのは大衆だと思うんです。それに比べれば、小泉さんも安倍さんもたいして罪はない。大衆が怖いということは、自分が怖いということで、そうしたことが本当は大事だと思うんです。

『2012』

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子どもをお風呂に入れてから、ララガーデンへ、ローランド・エメリッヒ監督『2012』(2009 米)を観に行った。
西暦2012年、古代マヤ文明の古文書が予言した「終末」に従って、太陽の活動が活性化され、そのあおりで地球の崩壊が始まっていく姿が圧倒的なスケールで表現される。そして、その情報をいち早く聞きつけた国連常任理事国にG8を加えた先進国の首脳たちが現代版「ノアの箱舟」の建造を密かに始め、その箱船に乗る人々の悲喜劇を描く。
ビルや飛行機が爆発するだけでなく、地盤が傾き、街全体が地割れに飲み込まれ、チョモランマまで津波が押し寄せる。つっこみどころはたくさんあるのだが、観客の思考力すら奪うような映像がスクリーンに展開され、「大作を観たっ~」という満足感に浸ることができた。

パンフレット研究:日本医療科学大学

 東武越生線川角駅から徒歩10分という、便利なのか不便なのかよく分からない場所にある。1960年に設立された城西レントゲン技術専門学校が母体となり、2007年に開学した新しい大学である。「医療」と言っても看護はなく、診療放射線学科とリハビリテーション学科理学療法学専攻と作業療法学専攻の3学科で構成されている。需要のある資格なので、就職の状況は良いようだ。「大学」という看板を掲げられているが、中身は専門学校である。