月別アーカイブ: 2008年12月

『猫のほんね』

野矢雅彦『猫のほんね』(中公文庫 2002)を風呂の中で娘と一緒に読んだ。
写真がメインの本で、猫が喜ぶ姿や、追い掛ける様子などの可愛い写真に簡単な説明が添えられている。
大して面白くもない本であったが、「もっと読むぅ〜」とせがまれ、2度も読んでしまった。

『40歳からのピアノ入門』

鮎川久雄『40歳からのピアノ入門:3ヵ月でマスターした「コード奏法」講座』(講談社+α新書 2005)を読む。
最近仕事に忙殺され、余計にストレスのたまるピアノの練習から遠ざかっていたので手に取ってみた。子どもが乳児の頃は、親が弾き語りをして童話をたくさん覚えさせたいと思っていたのだが、すっかりご無沙汰である。
新書なので、楽譜が並んだ技術書ではなく、コードの解説も全くない。普通のオジサンであった著者自身のひょんなことからピアノにハマっていった経緯が綴られている。中高年からピアノを始める初心者は、「バイエル」や「ハノン」のような子ども向けのクラシック教本を用いた基礎練習ではなく、知った曲で「コード」を用いてどんどん両手弾きにチャレンジすべきだと指南する。そして、自身の体験から、指の練習やクラシックの二段譜を見ながらの正攻法の練習では続かない、失敗しても人前で、そして即興でコードの変化を付けながら弾く場面を作ることで、「音」を「楽しむ」ことができると述べる。

『ヤバいぜっ!デジタル日本:ハイブリッド・スタイルのススメ』

高城剛『ヤバいぜっ!デジタル日本:ハイブリッド・スタイルのススメ』(集英社新書 2006)を読む。
本日のネットで女優の沢尻エリカさんと結婚するとのニュースを見て手に取ってみた。
タイトルにある「ヤバい」というのは、英語で言う「cool」と同じで意味だとのこと。つまり日本は不況だとか、日本人はオリジナリティが欠如していると非難されるが、日本には、ハイブリッド自動車や多機能携帯電話、おしゃれ感覚に鋭い若者文化があり、まだまだ世界で勝負できる分野がたくさんあると述べる。そして、著者はあらゆる文化は複製、物まねをベースにしており、これから既存の文化や技術をセンス良く組み合わせる「スタイル」が問われると予言する。

世界でもっとも読まれているアメリカのデジタルビジネス&カルチャー誌「ワイヤード」によれば、その定義は「カット&ペースト」だという。すなわち、すでにどこかにあるものを切り抜き、貼り込んでいって、新しいものを作るということである。世界中のポップ・ミュージックの多くは、すでにこの「カット&ペースト」で作られており、また近年のハリウッドの大作映画を見ても、まったくのオリジナルではなく原作があり、その原作の良いところを切り出し、「カット&ペースト」して映画を作っている。だから世界中のクリエイター、それはパリのファッション・デザイナーやハリウッドのプロデューサー、DJに作家までもが、「カット&ペースト」のもととなる「ネタ」を探している。この「ネタ」の発掘・発見と、どう「カット&ペースト」するか、のスタイルこそが、もっとも重要となるのである。

□ TSUYOSHI TAKASHIRO -BLOG-|honeyee.com Web Magazine □

『爆笑問題の「文学のススメ」』

爆笑問題『爆笑問題の「文学のススメ」』(新潮文庫 2006)を読む。
花村萬月、平野啓一郎、児玉清、松尾スズキ、倉田真由美、藤田宜永、団鬼六などそうそうたる作家たちとの対談番組の書籍化で、単行本の方は2003年に刊行されている。数年前、確かテレビでちらっと見たような気もする。元々がテレビ番組なので作品の解釈ではなく、爆笑問題のツッコミに対して、作家が自らの経歴や文学観を語る形で話が進んでいく。平野啓一郎や花村萬月氏との対談は興味深かったが、他の作家は作品もあまり読んだことがないので、あまり深入りできなかった。

『できそこないの男たち』

福岡伸一『できそこないの男たち』(光文社新書 2008)を読む。
TBSラジオで著者の話を聞いて早速ネットで注文した本である。

生物の基本仕様としての女性を無理やり作りかえたものが男であり、そこにはカスタマイズにつきものの不整合や不具合がある。つまり生物学的には、男は女のできそこないだといってよい。だから男は、寿命が短く、病気にかかりやすく、精神的にも弱い。しかし、できそこないでもよかったのである。所記の用途を果たす点においては。必要な時期に、縦糸で紡がれてきた女系の遺伝子を混合するための横糸。遺伝子の使い走りとしての用途である。

本来、すべての生物はまずメスとして発生する。何事もなければメスは生物としての基本仕様をまっすぐに進み立派なメスとなる。このプロセスの中にあって、貧乏くじを引いてカスタマイズを受けた不幸なものが、基本仕様を逸れて困難な隘路ヘと導かれる。それがオスなのだ、と著者は述べる。つまり、メスこそが生命の太くて強い縦糸であり、そして、オスは、そのメスの系譜を時々橋渡しする、細い横糸の役割を果たしているに過ぎないというのだ。このように書くとフェミニズム的な論調に絡めとられてしまいがちであるが、分子生物学の立場から他の動物や昆虫の研究を丁寧に踏まえた科学書である。
そして著書は、返す刀で、2700年あまりにおよぶ男系による皇統を世襲してきたある国の大王の制度に異議を投げ掛ける。ある国の話ということでぼかしてはいるが、男系の皇統制度そのものが生物学レベルでは破綻していると断じる。

(チンギス・ハーンの例を見ても、権力者のY染色体はもっともありふれた染色体であり、元来染色体を半分にわけ、それを別の場所に運び、もう半数に混合して合体すること、それこそがY染色体に課せられた役割である。)かつてアフリカを出発し、アジアを横断し、あるときはチンギス・ハーンとその夥しい数の末裔となって各所へ散り、またある時は日本列島に集まり、さらにははるか遠くベーリング海峡を越えていった男たちがなした最大の偉業。それはモンゴル帝国の完成でもなければ、万世一系の皇統維持でもない。母の遺伝子を別の娘のもとに運び、混ぜ合わせることだったのである。