日別アーカイブ: 2006年12月31日

『あなたはもう幻想の女しか抱けない』

速水由紀子『あなたはもう幻想の女しか抱けない』(筑摩書房 1998)を読む。
上野千鶴子の進歩主義的フェミニズムと、宮台真司的な「ブルセラ女子高生」論に依拠した「渋谷」社会学といった内容か。
男性型「会社人間」抑圧構造と性別役割分担家族制度に安住している大人こそが現在の社会荒廃の元凶であり、そうした旧来社会の解体を目指すべきだとするフェミニズム論と、女子高生という生身の人間を「無垢で純粋な聖少女」と記号化してしまう男の歪んだ人間観を生み出した消費社会主義の2つの立場を踏まえて、結婚や教育、援助交際を採り上げる。

著者は現在の家庭、そしてそれを取り巻く社会を、次のようなモデルケースを踏まえて論じている。

性的スキルが小学生並みでロリコン漫画で興奮するような男が、会社員として働き、妻と子供を持つ。当然、妻は満足できないから、夫をバカにしたり浮気をする。そこでプライドを傷つけられ、子供に対して専制的に振舞う。娘は援交、息子はシンナーや恐喝へ。こうして家庭が空洞化していく。
(中略)中学生は傷つくことを恐れてナイフを持ち歩き、教師の言葉に過剰反応し、オヤジは自分の貧しい実存を傷つけない女子高生に走り、傷つけば簡単に自殺してしまう。(中略)中学生は親の「偏差値の高い学校に入れる、世間的に自慢出来るいい子」と「親の許容する、一定の路線を踏み外さない普通の子」という、すべて学業を軸とした二極幻想に支配されている。オヤジの場合なら、「金回りのいい会社経営者である」「大蔵省のエリート官僚である」「企業の中で出世コースに乗っている」……これらは形を変えた会社幻想にすぎない。だから、外部の枠組みや社会状況によって幻想が崩れれば、自尊心は限りなくゼロに近づいてしまう。

そして、現代の女性が等身大の自分としっかり向き合っている一方で、男性は実在する自分を自己認識できず、酒や買い物、仕事、次にはアニメ、少女幻想、はてや妻子をコントロールすべき「理想的な父親幻想」にハマっていくと述べる。著者は最後に「私の存在をフェイクするすべての幻想を捨て、リアルでいびつな自分を愛する」ことから始めよと説く。

読みながら確かに頷くような分析もあったが、渋谷に集う若者やオヤジとその家族を、性別・世代といった要因で全てを十把一絡げに総体化し、現在の世相を計ろうというのは1700円の本の内容としては安易な気がした。緻密な統計調査を踏まえて論じるのならともかく、多様な個人や家族を恣意的なステレオタイプに当てはめて論じようというのは、センセーショナルであるがゆえに、一方的な世論誘導にもつながりかねない危険性を有する。