月別アーカイブ: 2005年1月

本日の夕刊

 本日の夕刊にブッシュ米大統領の就任演説の要旨が載っていた。その中でブッシュ大統領は「この国での自由の存続は、他国での自由の成功にますます左右されるようになった。世界平和を達成する最短の道は、全世界に自由を拡大することだ」とし、そのために「必要な時には、武力によって自らと友人を守る」としている。そして、「自由の究極的勝利を確信してわれわれは前進する。それは神の意志による選択だ。米国は新世紀の始まりにおいて全世界の人々に自由が行き渡ることを宣言する」とまとめている。
 まるで大航海時代におけるアジアの封建制を解放せんと意気込むカトリックの宣教師のような演説である。

 話は変わるが、創価学会の池田大作代表はフィリピン大学での講演会で次のように述べている。「自由」を「公正」という語に置き換えただけで、ブッシュ米大統領と学会のおせっかいな論理は非常に似ている。このようなありがた迷惑な親切心の押し売りは、黙って無視するわけにもいかず、断固とした拒絶の意志を表明することが大事である。

 ビジネスは、その本来の性格から、経済効率をあげ、利潤を追求することを第一義としています。もしビジネス人が事業に左右され、「企業の論理」や「資本の論理」しか眼中にないとするならば、行き着く先は、利潤をめぐる争いであり、それはしばしば戦争の誘因にさえなってきました。

 ビジネスが平和構築のために貢献をなそうとするならば、そうした論理を「人間の論理」のもとにリードせねばならないでありましょう。

 そのために何が必要か――。私は平和を志向するビジネス人の精神的バックボーンとして、端的に「公正」の精神を挙げてみたい。日本語の「公正」には、一方で「公平」や「平等」、他方で「正義」の意味が含まれております。

 興味深いことに貴国の言葉「カタルンガン」が、まさに日本語の「公正」の二つの意義、つまり「正義」と「平等」という両義をはらんでいるとうかがい、私は新鮮な感動をおぼえました。こうした「公正」な精神の持ち主は、経済活動によって、ともすれば富める国、富める階層がますます富み、貧しい国、貧しい階層がますます貧しくなっていくといった矛盾を決して見逃さないでありましょう。

 ビジネスの世界にあっても、一企業、一国のみの「部分益」に執着せず、地球人類という「全体益」に立脚しつつ、時には、自らの利害を超えた尊い自己犠牲さえいとわぬ「公正」な判断を可能ならしむるにちがいありません。

『社会福祉士まるごとガイド』

 日本社会福祉士会『社会福祉士まるごとガイド』(ミネルヴァ書房 2001)を読む。
 社会福祉士になるための学校の紹介と仕事が概要が分かりやすく書かれている。社会福祉士は単なる福祉従業者ではなく、「社会」の福祉士と名付けられている。その点について以下のように説明を加えている。

 社会の中で孤立したり、日常生活の営みが困難な人々、精神的・肉体的ハンディキャップを抱えている人をはじめ、すべての生活している人たちに対し、社会福祉専門職の手による科学と専門性をもって、生活の再編や、よりよい生活の実現のために活動することを、ソーシャルワーク、あるいは社会福祉援助活動といいます。「ソーシャル」(=社会の)という表現を使うのは、その人それぞれが直面する問題を個の問題としてだけではなく、社会の枠組みの問題としてもとらえ、社会的自立をめざして援助を行う点を特徴としているからです。それは人間を身体的・心理的・社会的な面の総体として理解して、人間と人間との関係、人間と社会の関係を調整し、その人の日常生活を支援していく行為です。

 福祉という極めて個人的な、また家族的な問題を「社会の枠組み」として捉えることは口で言う以上に難しい。北欧の社会福祉政策は、「神の下の平等」という宗教的なテーゼから始まった慈善事業が土台となっている。それが民主主義の進展とともに、「法の下の平等」という近代国家の基本原理に再編され位置づけられてきた。しかし、日本では民主主義そのものが未成熟のため、障害者や高齢者、野宿者といった者たちの人権を制限する政策をとってきた。そのために、社会的な観点から差別抑圧の問題に取り組むこと自体が異端視されてしまう傾向にある。しかし、社会という視点を外れてただチャリティ的に問題に取り組んだのでは何の解決策も生み出さない。

 先日、日本社会事業大学のパンフレットを取り寄せたのだが、その表紙の宣伝文句に「支え合い、分かち合い、社会を変える そんなソーシャルワーカーの養成をめざします」とあった。福祉切り捨てをごり押しする小泉政権下において、社会福祉士には社会を「換える」ぐらいの気概が求められているのかもしれない。

『政治のニュースが面白いほどわかる本』

 瀧澤中『政治のニュースが面白いほどわかる本』(中経出版 2001)を読む。
 橋龍政権から小泉政権誕生までの政界の流れが整理できた。各政党の成り立ちや支持基盤、また選挙制度や行政改革についても中学生でも理解できるように会話体で話がまとめられている。共産党や社民党の支持層―労組や各種団体―についても分かりやすく書かれていて面白かった。特に共産党の草の根支持基盤である「全国革新懇」や「民主商工会」の運動としての位置づけが分かりやすく説明されている。他に類書が思い当たらない。

『日本政治のしくみ』

 石川真澄『日本政治のしくみ』(岩波ジュニア新書 1995)を読む。
 55年体制が崩壊し、自社さ連立政権による村山内閣成立までを総括している。政財官の癒着の中で大企業の要求に応えてきただけの自民党と、労組をバックにし反対のポーズをとりながら裏では自民党と談合を繰り返してきただけの社会党が日本の政治の行き詰まりの元凶だと総括した上で、住民運動や活気ある地方政治に期待を示す。

『仲間の中で育ち合う』

 越野和之・全障研八日市養護学校サークル編著『仲間の中で育ち合う』(クリエイツかもがわ 2004)を読む。
 児童福祉施設とも役割の重なることも多い養護学校の寄宿舎における教育の意義を改めて問い直す。しかし、寄宿舎教育にこだわることも大切だが、地域と密着した児童施設やグループホームとの連携を優先すべきではないだろうか。養護学校は普通科と異なり、読み進めながら、そもそも福祉分野を管轄する厚生労働省と教育分野を管轄する文部科学省のくだらないなわばり争いが現場に持ち込まれ、養護学校と児童福祉施設や授産施設などの障害者福祉施設との関わりそのものがすっぽりと抜けてしまっている感がある。

 寄宿舎には、子どもの成長・発達に必要とされる「三つの間―仲間・時間・空間』があります。生活教育は、子どもたち一人ひとりの課題に応じて、この「三つの間」を教育的に組織することから始まります。
 (子どもたちに対しては)自分への肯定感や信頼感を取り戻すことが学校教育の中での大切な課題となります。自己肯定感や自己信頼感を育てるためには、安心してありのままの自分を出せる環境作り(「場」の保証)とそのありのままの自分を受け止めてもらえる(否定されない)仲間づくりが必要です。