福島瑞穂『福島瑞穂の新世紀対談:おもしろく生き抜いてみよう』(明石書店 2001)を読む。
彼女がまだ党首になる前に『月刊社会民主』に連載された対談集である。佐高信氏や、金子勝、辺見庸、浅田彰、彼女のパートナーの海渡雄一氏などと、日本における社会民主主義の可能性について福島さんが素直に尋ねる形になっている。ちょうど対談の時期は小渕政権の頃の日米新ガイドライン関連法案、日の丸・君が代国旗・国歌法案、盗聴法、国民総背番号制に道を開く住民基本台帳改悪法成立など、まさにファシズムとしかいいようのない、法案が次々と成立していった時期と重なる。その渦中で福島さんが何に取り組み、何を目指そうとしたのかが分かって面白かった。
辺見氏が対談の最後に以下のようなまとめを行っていた。いかにも彼らしい発言である。
政治家も弁護士ももちろん僕らも労働者も、実はみんな表現者だと思うんです。言葉を競っているんだと思う。それが人の胸の深くにどれほど届くのかというのが勝負だと思うんです。政治はそうであるべきだし、現実にそうじゃないのかと思う。そこに返るしかないと思っているんです。
言葉がこれほど乱暴に大量消費されて、一山いくらで売られている時代はない。特に政治の世界では、今日の言葉が、明日には何の意味も持たなくなっていたりする。だからこそ自前の言葉というのがすごく大事だと思いますよ。悪ずれした政治家は立板に水のように話しますが、聞く者の胸には何も着床しない。演説なんか下手でいいのだと思います。容易には言いえないことを、苦しみながら、言葉を厳しく選びながら訥々と、しかも必死で語ろうとする。その方が尊いのだと僕は思います。