日別アーカイブ: 2005年1月21日

本日の夕刊

 本日の夕刊にブッシュ米大統領の就任演説の要旨が載っていた。その中でブッシュ大統領は「この国での自由の存続は、他国での自由の成功にますます左右されるようになった。世界平和を達成する最短の道は、全世界に自由を拡大することだ」とし、そのために「必要な時には、武力によって自らと友人を守る」としている。そして、「自由の究極的勝利を確信してわれわれは前進する。それは神の意志による選択だ。米国は新世紀の始まりにおいて全世界の人々に自由が行き渡ることを宣言する」とまとめている。
 まるで大航海時代におけるアジアの封建制を解放せんと意気込むカトリックの宣教師のような演説である。

 話は変わるが、創価学会の池田大作代表はフィリピン大学での講演会で次のように述べている。「自由」を「公正」という語に置き換えただけで、ブッシュ米大統領と学会のおせっかいな論理は非常に似ている。このようなありがた迷惑な親切心の押し売りは、黙って無視するわけにもいかず、断固とした拒絶の意志を表明することが大事である。

 ビジネスは、その本来の性格から、経済効率をあげ、利潤を追求することを第一義としています。もしビジネス人が事業に左右され、「企業の論理」や「資本の論理」しか眼中にないとするならば、行き着く先は、利潤をめぐる争いであり、それはしばしば戦争の誘因にさえなってきました。

 ビジネスが平和構築のために貢献をなそうとするならば、そうした論理を「人間の論理」のもとにリードせねばならないでありましょう。

 そのために何が必要か――。私は平和を志向するビジネス人の精神的バックボーンとして、端的に「公正」の精神を挙げてみたい。日本語の「公正」には、一方で「公平」や「平等」、他方で「正義」の意味が含まれております。

 興味深いことに貴国の言葉「カタルンガン」が、まさに日本語の「公正」の二つの意義、つまり「正義」と「平等」という両義をはらんでいるとうかがい、私は新鮮な感動をおぼえました。こうした「公正」な精神の持ち主は、経済活動によって、ともすれば富める国、富める階層がますます富み、貧しい国、貧しい階層がますます貧しくなっていくといった矛盾を決して見逃さないでありましょう。

 ビジネスの世界にあっても、一企業、一国のみの「部分益」に執着せず、地球人類という「全体益」に立脚しつつ、時には、自らの利害を超えた尊い自己犠牲さえいとわぬ「公正」な判断を可能ならしむるにちがいありません。