養老孟司『生と死の解剖学』(マドラ出版 1993)を読む。
「生死」という言葉があるように生と死は全く別ものと一般に考えられるが、解剖学の見地から考えると、生と死の境界線は微妙なものであり、廃人、脳死、植物人間等その境界線上に様々な現象がある。臓器移植の議論において必ず問題となるのが、どこに生死を分割する区切りを置くかという死の定義である。延髄が死んでも栄養を与え続ければ何年も生きることが出来るし、脊髄が死んで人工呼吸器を用いれば人間を生かすことは出来る。しかし、突き詰めていくと、細胞の隅々まで死んでいないと本当の死亡と認知することが出来ず、完全に白骨化するか、火葬するまで死亡と定義することが出来なくなってしまう。死体の処理が終わって始めて「死亡」が確認されるというヘンテコな流れになってしまう。死の定義が究極的には決められない以上、脊髄、延髄含めて脳が死んだら、法的な死と扱うべきだとする養老氏の主張は分かりやすい。
『生と死の解剖学』
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